2023年 日本を護るために
2024年 7月14日 これが現実
目を覚ましてTVのスイッチを入れると、突然トランプ候補の銃撃事件が伝えられた。そうはいってもネットではすでにこのような事件の噂が頻繁に流れていたので、この事件を目の当たりにしても、驚きというよりやはりという思いになってしまう。ニュースによると狙撃犯はすでに殺害されたそうなので、これで事件の背景は、闇に葬られてしまった。
それにしてもこのような危険性は当人はもとより、支持者においても充分警戒していたはずで、それにも拘らず起こった事件となれば、単なる個人的な怨恨や発作的な犯行とは考えづらい。そうだとすれば事件が未遂に終わったことにも何らかの意味があるのではとますます勘ぐってしまう。
とはいえこのことから分かることは、現在の世界情勢はこれほど緊迫した状態にあるということだ。そしてトランプ氏の掲げる公約は敵対する勢力にとっては、これほどの思いを抱かせているということだろう。簡単に言えば目的のためには人の命も顧みないということが彼らの常識で、これに目を瞑ることは、この常識を我々が将来に渡って肯定してしまうことになるのだ。
幸い今のところ彼らは民主主義や自由などという耳障りのいい言葉を隠れ蓑に使っているために、この言葉を彼らはあからさまに否定することは出来ない。その代わり世界各国の人々からこれまで彼らが大切にしてきた正義や道徳心に揺さぶりをかけているのだ。つまりそれにより信仰という人間としての生活規範の破壊を行っている。その結果彼らに残されるのは隙あらば他人の利益を奪おうとする考えや、優生学というご都合主義のはびこる世界になる。それにより彼らは見えないところで世界の覇権を握ろうと躍起になっているのが現状だ。このようなことが、この先も蔓延れば世界はどの様になってしまうのか、それは何の恨みもない者同士が、無期限に武器を取って戦わせられ、数えきれないほどの犠牲を出し続ける世界だ。ではそうまでして彼らが手に入れることが出来るものとは何にか、私には良くて元の鞘くらいしか思いつかない。それよりこのまま戦争を継続した場合、失うものの方が遥かに大きいだろう。
結局武器を持たない我々が彼らに対抗できることがあるとすれば、それはたった二つの決断しかない。それは民主主義を守り抜くという決意と暴力には屈しないという覚悟だ。暴力に盲従する世界をこれ以上現実にしてはならない。