思考ラボ
執着を手放す?
はっきり言って、無理な話です。でも意識をそらすことは可能かもしれません。執着って人の意識の問題だと思うのですが、人の意識も、顕在意識、潜在意識その他の無意識に分かれると思います。誤解の無いように断っておきますが無意識は分かれませんので、顕在意識と潜在意識ですね。
このうち生命の根源と繋がる執着は、なかなか手放すことは出来ないと思っています。ところで、瞑想によって意識をそらす訓練をすることがありますが、その瞑想を始めるにあたっては、呼吸法から入ると聞きます。つまり、命を維持するための始まりの始まりから、自分を見つめなおす作業です、つまり、これより先は命が10分と持たない切羽詰まった状態まで自分の意識を集中させることから始まります。
では、これを続けて執着は消えるかなんですが、消えないのではないかというのが私の考えです。執着は命の根源に繋がる渇望ではないかと私は考えています。つまり生物として命を維持するために、どうしても維持し続けなければならない意識ではないかと思っています。
一頃、ダイオウグソクムシって巷で話題になりましたが、あの生き物は5年以上摂食なしでも生きるそうです。そんな生き物も種を残していくためには、性欲も必要なはずで、何を言いたいのかというと飲まず食わずの仙人のような生き物も生命を維持するためには、それに見合うだけの時間を超えた性欲を秘めていなければならず。とても人間の想像できる刹那的な欲望とは次元の超えた意識ではないか、つまり無意識からくる欲望って人間の意識下ではコントロールできないのではないかということです。
ならば、人間に起こる恋愛も、さらに複雑でコントロール困難な欲望ではないか。ようは、起こるべくして物事が起こるのであれば、それを受け入れること。それによって起こる感情も起こるべくして起こっていると受け入れることです。確かに、邪悪で、受け入れがたい不条理も起こりますが、そこは跨いで通りましょう。あなたに関心があれば別ですが、勝手に起こってくることにいちいち躓いていては、あなたに託された希望がかすんでしまいます。あなたは自分の希望に責任を持つべきです。その希望によって生まれる苦しみを味わい尽くすことも、あなたの大切な人生かも知れません。あなたの望みが叶う日が来ますように。ではまた