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2023年 11月12日 最後に出会う仏

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不動明王のお姿のつもりで描いたが、私が描くとなんだかテルマエロマエのように感じてしまう。本来この仏さまはヒンズー教のシバ神の姿でもあるらしい、その姿を仏教では剣で煩悩を断ち切り、手に持った鎖で地獄に落ちた亡者を救い上げてくれるそうなのだ。つまり、このお姿を見てしまった人は、今自分は地獄に落ちていることを悟らなければならない。

とはいえこのお姿を見てこれが、仏の姿だと喜べるのはこの姿を仏だと知る者だけだろう。たいがいの方はこの形相に恐れをなし自分から仏を遠ざけてしまうに違いない。因みに密教の世界ではこの仏さまは大日如来の化身なのだそうだ。では何故そうなったのかといえば、それは人間が大日如来のお姿ではあまりにも神々しいので、我々人間に合わせてこのようなお姿に変えられているのだそうだ。なるほどこの説明は今の世相を思うとすんなり受け入れることが出来る。

人は自分に超えられない絶望的な壁に出会うたびに人知を超えた存在に縋りつきたくなるものだ。体験したことの無い恐怖は、体験してみなければわからないからだ。他人事のような言い方に聞こえるかもしれないが、これまでの投稿で、私はこのような人知を超えた繋がりをリアルに感じている。というのもこれまで私は、脈絡のないカオスのような世界が無意識の世界で、そこに真実が存在するとすれば、その真実もまた脈絡のないカオスなのではないかと思いながらこれまでの投稿をつづけてきた。ところが、私は最初から無意識で自由なカオスが予想される文章を綴ってきたつもりだったが、後から気づくと面白いようにブログの記事や作品に繋がりを感じてくるのだ。

たとえばこの不動明王は、このブログのファンタジー欄にある「彼岸旅行」のラストにすでに登場している。そればかりではない、「独立自尊奥の細道」で何故か取り上げた源平合戦の倶利伽羅峠の勝手な解説文も今思えば不動明王とは大いに関係があることのようだ。というのもこの倶利伽羅峠という地名は不動明王の持つ龍の絡まる剣の姿からついた地名なのだそうだ。このようなことが何度も続くと、私は自分の持つ無意識の概念を変えなければならない。

というのも今私が感じている無意識の世界とは、単なるカオスの状態にあるのではなく何かしらの意志や秩序を持っている世界なのではないかということになる。逆に考えると、我々がリアルと感じている意識の世界をカオスにしてしまっているのは、むしろ意識によって世界を認識している人間の方なのかもしれない。これに対してあらゆる宗教が理性や理論を超えて信じることを優先にすることは、人間の持つカオスの意識世界を捨ててその根源にある秩序ある意識に誘っているのかもしれない。

 

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Posted by makotoazuma