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2023年 日本を護るために

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2023年 7月17日 女子供を守れ

なにやらこのような文章を書くと今の日本では、すぐに差別主義だと非難されそうで不安になる。とはいえ、ひと頃はこんなことに異議を唱える人は誰もいなかった。あの不朽の名作タイタニックでは、客船から救命ボートを下ろし避難するシーンがあった。さてあのシーンでは何の躊躇もなく船から避難する順番は女子供が優先だった。しかもご丁寧に映画ではこの順序を乱すキャラクターの末路は悲惨に描かれている。それに対し観客は異議を唱えただろうか。

ところが今とある国の法律でこのような流れにたいし、法的な問題が生じるようになってしまった。しかもそれが最高裁での判決となれば絶望的である。いったいいつの間に日本国民は、これまでの社会的常識に疑問を持つようになったのか。つまり女子供が優先というのは誰から教わるものでもない、人間が自然に獲得した社会常識ではなかったのだろうか。それは弱いものを社会的に守ろうという認識で、もっといえば、子孫を繋ぐことを前提とした社会常識である。

このような考えは人間社会という以前に、生き物としての本能に違いない。だとすればこの弱いものや子孫を守るという認識は人間が本来備えている自然権と言えるのではないだろうか。何を言いたいかといえば弱い立場の者を守るという意識は基本的人権に他ならないということで、その認識は個人の認識によるのではなく、社会が弱い立場にあるかどうか対象を判断するものなのだ。

おかげで巷ではこの問題が出るたびに、トイレや性犯罪についての犯罪例が日々取り上げられている。どうやら世界中ですでにこのような危険性による犯罪は起こっているらしいのだ。つまりこのような問題提起は、これまであった犯罪をもとに危険性を訴えているので、この危険性に対しありえないことのように伝えることは、少なくともマスコミの存在意義を疑われてしまう、もし万が一にでも危険性があるのであれば、危険性をあるように伝えることがマスコミの本分であり、社会がマスコミに求めるところだ。

芸能人のスキャンダルはあれほど執拗に追求するのであれば、これほど社会的に危険度の高い問題を蔑ろにすることは、報道に偏りがあると非難されても仕方がないだろう。

それこそこのような事件が万が一にでも起こった場合、被害者にとっては悔やんで済まされるものではない。これが、この問題をことさら提起する人の真意であり、性差別を助長する意図はないだろう。合わせてこのような問題に対し司法は、性差別云々よりも体力的に弱いものの安全性を真っ先に考慮することが、司法の良心なのではないだろうか、このままの状況では、この国の行く末を案じてならない。

2023年 7月15日 政府の努力

とかく政府の努力は目立たない、おそらく内部で仕事をされている方には世間の目はとても厳しく思われるかもしれない。とはいえ自分たちの税金がサービスに反映されていると思えば当然のことだろう。とはいえこのようなタイトルをつけたのは意外と国民に認知されていない政府の努力は多いのではないかと思っているからだ。

例えば21年から政府は世界最高水準の研究大学の実現を目指して大学ファンドというものを設立させている。これは政府が拠出した資金を科学技術振興機構JSTが運用し、その運用利益によって大学の研究をサポートすることだ。それにより日本の大学研究は、世界の最高水準を目指すことが出来るとある。このため政府はこのファンドにたいし、のべ10兆円の資金を投入している、当然投資の世界は政府と言えども資金の保証はないため、2022年の運用実績は604億円のマイナスとある。運用実績については常に変化するため絶対ではないが、私が気になったのはファンドの運用先である。政府が拠出するのであれば当然日本の国益も考慮して運用されるべきと思うが、投資先を見て驚いた基本の投資先はグローバル債券ファンド35%、グローバル株式ファンド65%で日本国の投資は株式も債権も一切入っていない。

ところで同じ資金運用でも公的年金の運用を行うGPIFは2022年度200兆円の運用に対し約3兆円の運用益を出している。確かにGPIFのほうが投資経験が長い分、利益が出るのは当然と思われるかもしれない。とはいえ、このような運用にそれほど投資経験は必要ないだろう、というのもGPIF運用先は国内海外に債券と株式を4分割したに過ぎない。確かにGPIFの運用もずっとこのスタイルだったわけではない。当初の運用では国内債券を中心にした運用だったが、株式の割合を徐々に増やし、最近やっとこの運用割合が定着してきたのだ。これにより年金の運用益は22年度の実績は累計で100兆円を超えているのだ。

不思議なのはこれほど見事な手本があるにもかかわらず、JSTは何故これを参考としなかったかである。しかもJSTの資金運用は最初からすべて海外で運用されることが決定されている。ところでもしこれほどの資金が日本国内で運用されていたらどうだろうか、それだけの資金があれば、あのトヨタが社債を発行しようという時期である、きっと日本企業の活性化につながっていたのではないだろうか。結局、日本の大学による研究成果を最も当てにしているのは日本の企業のはずである。そのように思えば、いったいこの大学ファンドとはどこの国民の利益を考えているのか疑問である。

ところでこのような環境にありながらも、日本企業のエネオスは水素エネルギーの活性化のため供給ステーションの拡大を行っているそうだ。これにより水素を燃料とする自動車産業は活気づく筈だが、これとは別に政府は再生エネルギーに対する新たな資金支援のための制度を設けている。それがJクレジットというものだが、これを聞いて私は新しい信販会社を想像してしまったが、そうではなかった。なんでも炭素の排出量と吸収量によってクレジットの創造を行うという壮大なものだ、それがあまりにも壮大すぎて何度資料を見ても私には、さっぱり呑み込めなかった。

そんな馬鹿には必要ない制度だと言われればそれまでだが、いろいろ賑やかな資料を提供されているわりに、どうしても心に響かない。いっそのこと名前をJエネコインとか一般人がとっつきやすい名前はなかったのだろうか。資料を見ると、とにかく英語を正確に訳することに終始していて読む側の配慮はあまり感じられないと思われた。とにかく英語でオフセットと書かれてあれば、そのオフセットを説明するために資料の多くが使われてしまうという、大変読みずらい内容なのだ。これとて炭素削減期待値とでも言い換えれば、おおよそのことは通じないだろうか、とにかくこの制度が今後定着するためには、入り口も出口もよりシンプルな制度になることが必要だろう。

現在のままでは用途があまりにも細分化されすぎて、この制度に参加するメリットを一般人は想像することが出来ない。税金もそうだが単純こそベストなのではないだろうか。

 

2023年 7月13日 悪人専用トイレ?

そんなものに出くわしたらどう思うだろうか、私ならば悪ふざけもたいがいにしろと言って憤りを隠せないだろう。では抗議の結果今度は善人専用トイレになったらどうだろうか。残念なことに今度は入り口には嘘をついたら舌を抜かれると書かれている。さてこの場合、善人か、悪人かを決めるのは誰だろうかこの場合、外からは判断できないので結局自分で認識するしかない、一般的にこのようなことを自認と言っている。ではこの自認が正しくできる方は世界中にどれほどいるのだろうか。

私が思うところは、もしそれほど正しい自覚の持てる方には宗教も哲学も必要ないだろうと思うのだ。さて昨日若いタレントの方がこの世を去った。なぜそうなったかについては知ることが出来ない、ただし普段から性自認の問題に向き合っていた方である間違いないだろう、というのも彼はデビュー当時からトランスジェンダーとして活躍されていたからだ。このことを日本人は違和感なく受け入れ、その人気は私のような年齢のものでも知らな人は少ないほどだ。

しばらくしてこの青年は女性と結婚し世間を驚かせた。知らない人が見れば女性同士のカップルにも見えたからである。喜びはさらに続き、それはこの二人に子供が授かったという知らせだ。しかしそれから間もなくこのカップルの破局がさらに世間を驚かせた。そんな出来事が続いていたさなか昨日の訃報は、改めてこの問題の根深さに触れる思いがした。

というのも性自認がもつ問題の複雑さにある。私はこの記事の冒頭申し上げたように自認という行為は当人ですら確証の持てない認識だからだ。先ほどは善悪という言葉で自認の難しさを示したが、これを自己の性とした場合は、その結果が社会に及ぼす影響やそこからの反応はさらに特異で当事者以外なかなか共感することは難しいのだと思う。とはいえ日本社会がトランスジェンダーに対し否定的であったことはないと断言できる、むしろこの場合、親父になったという事実が、自己の中に2つの対立する性を生み出してしまった可能性がある。

私は、このことがなぜ悲劇を生むのか考えてみた、もし性の認識が単なる個人の嗜好であるなら、それほど複雑な問題にはならないのではないだろうか、ところがここに性への憎悪あったとすれば、心に与える影響は穏やかではない、場合によっては自分の心によって自分の肉体に憎悪を向けてしまうという、時には破壊的な行動を誘発する可能性も出てくるからだ。このように性自認の理由も一通りではなく場合によってはトラウマの解消により性自認は一変させてしまう可能性がある。このような悲劇を生まないためには、性自認に対してより多元的なアプローチが必要になると思われる。

とはいえこの問題が、特異な人に限られた問題だろうか、私は変身願望や自分の知らない世界への好奇心はすべての人が持つものだと思っている。こんなことを法律で規制するというのは法律に対する矛盾を産むことにはならないだろうか、つまりすべての法律は公序良俗に反しないことが前提で、その解釈に曖昧性の無いことが法律の実効性を保つことにもなる。しかも日本の法律は議員立法である限り民意が反映されたものでなければならないのだ。さてこの度採択されたLGBTQの法律は、はたしてマイノリティーに寄り添う法律だったと言えるのだろうか、むしろ逆に犠牲者を生んでしまった法律になっているのではないだろうか。

個人による自認という行為は聖書にある罪の女に表現されるところの罪の意識であり、そうだとすれば誰しもが潜在的に抱えているものである。結局、最終的なその解決は人知を超えた神事に委ねられている。そうであればこそ人間による刑罰を伴う法律は、誰もがその合理性に納得できるものでなければならない。そうでなければ社会は混乱し、やがて法の権威は失墜してしまうだろう。

政治には法治国家の存亡を左右する重大な責任がある。

2023年 7月11日 クラスター爆弾

この爆弾をアメリカはウクライナへ供与することを認めたそうだ。軍事に興味を持つ方はご存じの兵器だが、通常あまりなじみのある兵器ではない。というのも核兵器とは違いその兵器の残虐性は認識しづらい面があるからだ。どういうことかといえば、この爆弾は大きな爆弾に小さな爆弾を詰め込んだものだが、その威力はすさまじいものがある。とはいえこれを聞いただけでは、爆弾を一度に爆発させるのと何が違うのかという疑問が湧いてくるだろう。

この爆弾の恐ろしいところは、その被害が後々までずっと残ってしまうことだ。その被害は地雷のもつ危険性と同様で、さらにこの兵器の質が悪いのは仕込まれている爆弾の大きさにある。それは人間の拳ほどしかなくかなり小さい、しかも、ばら撒かれる爆弾のほとんどは不発弾となり地雷のようにそのまま地上に残留し続けることになるのだ。そのためこの被害に最も会い易いのが、危険性の判断がおぼつかない子供たちというのも地雷の被害と同じである。また、この不発弾の除去についても、これまでの地雷除去に比べて明確な対処法を持つ国はない。このことをもって日本は2009年、中曽根内閣の時にクラスター爆弾禁止条約批准をきめているのだ。

このような経緯をたどるクラスター爆弾を、アメリカがウクライナに供与することに対し、政府の見解は当事国同士の問題だとしてメディアの質問を突き放した。果たしてこの政府の態度は国民の理解を得られるのだろうか、というより世界の視線を考えれば、これでは世界中に恥をさらしてくれたとしか受け取れないのだ。というのも先日、日本はG7において核廃絶を訴えていたばかりだ、つまりその訴えの根拠になっているのが大量破壊兵器の持つ非人道性ではなかったのだろうか。そのようなイベントに時間と国費を費やし、挙句の果てのこの答弁は日本政府が大量破壊兵器のもつ残虐性について、実は全く誠実に向き合っていないのだと受け採られかねないのである。

ところで、それより不思議なのはこのような兵器が使用された場合、もっとも被害にあうのは誰かと考えれば、その兵器が使用された戦場に住む住人だろう。もしこのような兵器が大きな都市で使用されれば、それ以降その都市で市民が生活することは困難である。当然このことは残留放射能の危険性を持つ核兵器使用も一緒で、その場に居住することになるだろう住民のことを考えれば、責任ある立場の人間がそのような兵器の使用を望むことは理解できないのだ。たとえそれが戦争の勝敗に関わることであっても、そのような兵器の配備には極力反対するのが常識ではないだろうか。因みに日本の歴史学者によれば、沖縄戦の始まる前に日本は核兵器の開発に成功していたそうだ。ところがその報告を受けても天皇陛下はその使用を許さなかったということだ。もしこのようなことが実際あったとすれば、私はこのご英断に対し大変感銘を受けている。

確かに核兵器の使用があれば、日本でその後の悲劇は起こらなかったかもしれない。がしかし日本人の高潔であろうとする魂はそこで途絶えてしまったのである。大和魂をいろいろ語る方も居られるかも知れないが、私が守らなければならないと思うのは、単なる知識や物質ではなく祖先から続くこのような高潔であろうとする魂ではないかと思っている。だからこそ先人はどれほど絶望的で理不尽な状況にあっても、この魂を護るために自分の命さえ顧みることはなかったのだと思っている。

私が日本を護るという思いには、単に日本国籍を持つ人々の生命財産を守るというほかに、先人が命を懸けてまで護りたかったものに対する思いがある。それは勝負に勝つことよりも先に、それが人の道に沿った生き方かどうか、また祖先が繋いだ日本の歴史に照らして恥ずかしくはないのか心に問うことだと思っている。私は核武装することや非人道的と言われる兵器を容認することは、日本人が今日まで護り続けてきた歴史に恥ずべき行為だと思っている。

 

7/7 インフレが止まらない

今日もまた朝の経済番組にすっかり釣られてしまった。とはいえ正直、私がこのブログで何を騒いだところで、どうなるものでもないという気持ちもある。ではなぜこのようなことを続けるのかといえば、自分の心を偽るような後悔はしたくない、という気持ちがあるからだ。肉体の体はいずれ滅びるが、納得して死を受け入れるためには後悔は禁物である。

さて今日のタイトルに対し私が視た実際のTV番組のタイトルはもっと具体的で、確か利上げで何故インフレは止められないのかというようなタイトルだった。しかもこのインフレは今現在世界中で起こっていて、すでに常識的なコントロールの範囲を超えている国も出ている。

ここで改めてインフレの意味を考えてみると、ちょっと怖くなる。インフレとはお金の価値が無くなることなのだ。そうはさせないために流通量のコントロールを中央銀行の操作によって行っている。つまり物とお金の量が釣り合っていれば利上げのコントロールは必要なく、ましてや利ざやを必要としない中央銀行にとって、利上げの操作は本来全く必要なことではない。

ところがいま世界中で起こっているインフレに、そのコントロールが効かなくなってきているというのがTV番組の特集なのだ。この回答として番組では四点ほどその理由が挙げられていた。残念ながらぼんやりTVを眺めていた私は、その正確な理由を思い出せないでいる、たしか経済政策の見通しの甘さや、住宅ローンの利用者が減っているため利上げしても影響が少ない、賃金の上昇が急激すぎるなどあったが私が頷けるものはなかった。それより以前動画で見たトランプ氏が登場したCNNでの対談番組でギャラリーから同じ質問があったことを思い出す。この質問にトランプ氏の答えは「ドリル、ベイビー、ドリル」といういかにもヤンキーっぽい表現の答えが返ってきた。要するに現政権が止めている石油の採掘をまた始めるということらしい。この答えに会場から拍手がどっと起こった。

さてこの答えがなぜインフレに対する答えになるかといえば、このインフレはエネルギーコストの高騰から起こったコストプッシュ型のインフレに他ならないと言っているからだ。このことはエネルギーコストばかりでなく、アフリカなどではもっと深刻な小麦高騰によるインフレも起きている。ここまでくるとこのインフレは、命に係わる危機を世界中にまき散らしていると言えないだろうか。そしてこのインフレの原因についてたどると、最後はウクライナでの戦争に行着く。

ではこのインフレを根本的に食い止める方法があるとすれば、今のところ2つの選択が考えられる。ただし二つ目の解決は国の環境によって全く違った回答になるはずだ。まず一つ目は世界経済を戦争前の環境に戻すこと、これには停戦というハードルがある。冷静に考えればウクライナの戦力には限界がある、自力でクリミアまで原状復帰させるのは不可能だろう。では西側が結束して軍をウクライナに送るしかないが、もしそうなればロシアは躊躇なく戦術核を使うと言っている。ところがこれに対し、西側がこのことを非難することはできない、なぜかといえば理由は、昨日ロシアの前大統領が叫んでいた通りだ。それでは戦争を継続させたままの状態で各国は、自前でエネルギーや食糧の確保をしなければならなくなるが、それぞれの国が自前でエネルギーや食糧を確保でる環境にあればそれに越したことはない。さもなければ、その解決を仲介をしてくれるのは、おそらく中華人民共和国だろう、もちろん決済は人民元だ。

 

 

7/6 借りる人がいない?

いつもの経済番組によると日銀は昨日1-3月の需給ギャップがマイナス0.34%だったという発表をしたそうだ。面白かったのは番組で次に紹介されたのは、現在銀行株が爆上げしているという話題だった。番組ではその理由については謎というコメントだったが、このままでは低金利が銀行業への足かせになっているという説明が出来ないことになる。苦し紛れにアメリカの投資家の影響を付け加えていたが、この説明で視聴者は納得できただろうか。

ところで、この資金の需給バランスによってアメリカの金融機関が破綻したことは、まだそれほど前のことではない。ところがあれほどの事件にもかかわらず、アメリカ大統領が「預金はすべて保証します」の一言で今では何事もなかったかの様である。あの事件についても実は、この需給バランスが大きくかかわっている。あの事件が起こった背景は、お金の借り手がいない銀行が、ダブついた資金を債券で運用し始めたことにある。このまま資金に動きがなければ、債券は無事償還を迎え金融機関に安定した利益をもたらすはずだった。ところが、ここにウクライナ戦争による急激なインフレがおこってしまった。それに伴う予想外の利上げで銀行は手持ちの債券価格が暴落してしまったのだ。このため金融機関は含み損を抱えることになったが、それを知った顧客は預金の払い戻しに走り、現金が底をついた銀行は価値の下がった債券を売却しなければならず、その損失が金融機関を破綻に追い込んでしまったということだ。

このような流れを見ても低金利が社会に悪影響を与えたとは言えない。それよりむしろ資金の需要が生まれてこなかったことが問題なのである。さてこの資金需要についてもう少し掘り下げてみると、そこには日本の景気が回復しない原因が隠れているのではないだろうか。

私は以前から、日本の景気が回復しない理由は景気循環が起こらないからだと言ってきた。その理由の一つは賃金上昇がないことで、このことについては消費税が影響を与えているのではないかと思っている。とはいえ現在企業は、賃上げに前向きに取り組んでいて今後も賃上げは継続されるそうだ。ところでこの賃上げとも関わる景気循環を滞らせている原因がもう一つあると私は考えている。それは社内留保にあるのではないかと思っているのだ。この資金について巷で取り上げられるようになったのは、リーマンショック以降だと記憶している。あれから現在までこの額は膨らみ続けとうとう日本のGDP並みの480兆円を超えてしまっているそうだ。これほどの資金が社会貢献しないまま企業のどこかに眠っているのだ。実はこの資金すでに問題視されていて、現在も一定の基準を超える企業には課税の対象とされているのだが、こうまでしても社内留保は減るどころか逆に増え続けているのが実情らしい。

では何故このような資金を企業は必要とするのか、よく聞かれる理由がいざという時の備えだそうだ。このようなことが定着してきたのはおそらくリーマンショックの影響が大きいだろうと私は思っている。あの時金融機関のとった行動が、企業は自前で万が一の資金を準備しなければならないという事態を招いているのではないだろうか。これでは企業がいくらお金を稼いだとしても、その利益は誰一人喜ぶことの無い闇の中で埃を被っていることになる。

ではこの資金を社会に流通させるようにするためには、どのような方法が考えられるだろうか。私が考えたのは、万が一の事態が起こっても企業が資金繰りに困るようなことをなくすことではないだろうか。そうだとすれば解決の方法は金融機関が企業が万が一の場合、滞りなく資金を調達できる制度が必要だろう。つまり融資の基準を明確にすることである。

これまで企業の信用度は取引のある金融機関が、それぞれの裁量で決めてきた。ところがこれがいい加減であれば、とんでもないことが起こってしまうのだ。実際スイスの大銀行はこれがもとでとんでもない破綻を起している。このようなことを防ぐために与信には統一した基準を設け、万が一の場合が起こればその基準に照らして滞りなく融資を行う制度を作ってはどうだろうか。もし万が一の事態が起こり、このような基準に照らして銀行が、貸し渋りや貸しはがしなどの行為を行った場合、金融機関はそれなりの制裁を受けることになる。この基準は政府の監督する基準で全国統一の基準である。これにより、企業は企業運営にだけ注力することが出来る。つまり企業は企業運営の統一された評価で金融機関から滞りなく資金を調達できるようになるのだ。このことで企業は不要な資金をストックすることなく、人件費や福利厚生、新たな設備投資や研究開発に自分たちの稼いだ資金を思う存分、充てることが出来るようになるのではないだろうか。

7/5 世界の新しい動き

いま世界には中国、ロシアを中心とした経済圏が整いつつあるようだ。それが上海協力機構という経済、軍事にまで及ぶ協力関係だ。この体制が始まったのは1996年と意外に古い、因みにこの主要国である中国のGDPは、発足当時は90兆円ほどしかなかった。それに引き換え日本のGDPは当時世界第2位であり500兆円ほどあった。つまり中国のGDPは日本の5分の1しかなく、たとえそこにソビエト崩壊後のロシアが参加していたとしても、上海協力機構が世界経済に与える影響はごく僅かなものでしかなかった。

今朝のTV番組によると昨日の7月4日に行われた上海機構のビデオ会議でイランが正式に加わったらしい。因みにこの会議の議長国はインドが務めている。などと言いながらも恥ずかしながら私は今まで上海協力機構などという言葉を聞いたこともなく、いったいどんなものかウェキペディアで調べてみた。するとそこにあった加盟国の地図には恐ろしさすら感じるほどだった。というのも、ユーラシア大陸を示すほとんどの国が、ここへの加盟を示す緑色に塗られていて、この中には先ほど紹介した中東のイランが存在している。

中東情勢といえば、いままで親密な関係にあったアメリカに代わり現在は中国、ロシアとの関係が強まっている。おそらくこの動向はさらにアフリカ大陸へと拡大していくに違いない。この恐ろしさは単に土地の広さばかりのことではなく、この緑に塗られた国々が世界中の地下資源のほとんどを保有していながら国力を示す人口からいっても我々の経済圏から比べればその数は圧倒的なのである。

これに対し、先日広島で開かれた主要国首脳会議G7は、大変立派な会議のようだが、結局IMFの主要国メンバーということでしかない。そしてこのIMFとは原油の覇権を握っていたアメリカドルを基軸通貨とする経済活動の国々ということだ。つまり基をただせば原油の信用力によってIMF参加国の信用を繋いでいたようなもである。ところが先ほどの通り近頃、主要な原産国である中東ではアメリカへの信頼が揺らいでいる、というよりは反米勢力が増えていると言った方が正しいかもしれない。そればかりかIMF体制の西側諸国でさえ、アメリカ主導の政策に距離を置こうとする勢力が増えているのだ。

このような状況下で今回のウクライナ戦争はエネルギー供給の重要性をさらに浮き彫りにしてしまった。というのもこの戦争を切っ掛けにヨーロッパでのエネルギー価格の高騰は際限のないコストインフレを巻き起こした。この結果各国における賃金の上昇によって利上げ基調は止まらずヨーロッパ各国の基盤産業に致命的な打撃を与えている。

これでは西側経済にとって上海機構の存在感はますます魅力的に映っているに違いない、特に中国依存を強めるフランスにとって看過できない事態なのではないだろうか、とはいえこのような事態に西側経済を追い込んだ責任は戦争継続を主張し続ける国々にあるはずだ。そうは言っても戦争当事者とも言えるNATO加盟国が停戦を訴えても現実的ではないだろう。私はあのサミットで唯一停戦の仲介を出来たのは日本をおいてほかないと思っている。そのためG7サミットでの日本の行動にはこの戦争に対する重大な責任があったと考えているのだ。ところが日本の首相がとった態度は、ロシアへの経済制裁の追加と一方的なロシア非難であった。この戦争が続けば間違いなく核戦争への危険が高まることを認識していなかったという言い逃れは出来ないだろう。

この結果は周知のごとく、戦争は継続され際限のない都市攻撃にまで及んでしまった、これにより双方の国では全く罪のない人々の命が今でも失われることになった。そしてこの行動の代償に日本が手にしたものは、ロシア、中国、両国の結束を強め、さらには太平洋戦争での一方的な加害者といういわれのない汚名と地政学リスクを増大させたことである。このようなことをした人が防衛費を倍増させて、そのための税金の負担をしろと言っている、我々国民はこのようなことを黙って許してよいのだろうか。

今後日本の生きる道は、この勢力から一定の距離を保ちつつお付き合いを考えるしかない。そのためにはどちらの勢力とも距離を置くだけの心積もりが必要で、経済的にも、軍事的にも孤立しても耐えられるだけの準備が必要ではないかと考えている。その準備としてエネルギーや食糧供給の国産化が必要であり、軍事における防衛大綱についても他国の戦力をあてにした防衛力整備ではなく、自国は自国の軍隊で守らなければ、適正な防衛予算すら算出できないのである。日本人はこれを機会として日本人の将来を担う政治がどうあるべきか考える時が来たようだ。

何を言いたいかといえば、これまで日本国民は国のGDPが上がることで幸福を手に入れることが出来ると勘違いしてきた。その結果我々庶民が得られたものは、およそ幸せなどという言葉とは縁遠いものだった。この努力の行き着く先が絶望的な少子化だったとすれば、これほどの皮肉はない。しかも就職に恵まれてやっと家庭を持てたという夫婦にしても、お互い労働を提供する立場の社会では子育てのできる環境が整っているといえるだろうか、つまり構造改革の目標とするような帳簿のやりくりだけでは人を幸せにする効果は限られるだろ。

たしか三橋貴明氏の動画では戦争や災害による貧困にあっても人口減少の要因とはならないそうだ。なんでも統計によるとそのような厳しい環境で人口はむしろ増えていく傾向にあるのだそうだ。ではそのような困難な環境で人口が増えるというのは何故なのだろう、動画で紹介されていたのは有名な学者の説によると、それが社会への帰属意識なのだそうだ。このため社会への帰属意識を失うと人間は自殺を選ぶ傾向が強いのだそうだ。このことは1998年の終身雇用制度の見直しがあったころから自殺者の数は倍増していることとも一致していて、つまりただお金をばら撒いても人の命を救うことにはならないという警鐘でもある。このことから言えることは、国民が社会との繋がりを永続的な安心感をもってつなげることが、人口減少を食い止めることになるのではないだろうか。もし政府として人口増加のための対策を真剣に考えるとすれば個人と社会を結びつける方法を模索することにある。さらに具体的に言えば雇用を増やして永続性のある労働環境を整備することこそ地域社会への繋がりをより活発にしていくことになる。そうだとすればこのことを最も具体化しやすいのが1次産業への投資だろう。1次産業には必然的に地域経済を生み出す力があるからだ。

話を今日のテーマに戻すと、いま我々の暮らす経済圏と全く別の経済圏が世界に生まれてしまった。その経済圏は現在我々の経済圏とは対立する経済圏でもある。ところがそちらの経済圏のほうが遥かに巨大な市場を持ち、これからさらに成長する可能性を持っている。いずれ日本はその経済圏との交流も図らなければならないだろうが、何の心構えもなくそこに飛びこむことは大変危険なことである。それは1歩間違えば日本文化の消滅もあり得ることだからだ。つまり現在のように日本人の帰属意識すら危うい環境で、現在よりさらに強力なイデオロギーを持つ文化と接することは、日本の文化そのものが飲み込まれ最後には跡形もなく消滅してしまうことになりかねないのだ。私は多少の貧困を味わうことになったとしても絶対にそうあってはならないと考えている。

 

 

7/3地方経済と農業

前回も日本の土地が外国に買われている現状についてお話しした。ではこの責任はどこにあるのかと問えばどうだろうか、ある人は国同士の条約に問題があると考え、またある人は、外国のお金をあてにする地方行政が悪いという見方をする人もいる。いずれにしろ今フランスで起こっている暴動などをみるにつけ、異質な文化との共存は国の安全にとって相当なリスクであることに変わりがない。

このフランスでの暴動は現在も治まる様子は見られないそうだ、そもそもこのような異質な文化の共存を招いたのは、奴隷制度という人身売買がもとになっている。これは我々が空想する国境のない世界とはまったく相容れないし、人道という考えからは程遠い歴史から起こっている。そもそも全く違う風土で生まれ、その風土に適した容貌の人間を勝手な都合で連れ去り、全く異質な風土でその場しのぎの労働力として使うという発想に問題があるのだ。ところが、今の風潮は容貌の違いは無理やり個人の認識にすり替えられている。つまり容貌の違いの理由は無いこととして見過ごすことが、正しい人の在り方だと言っている。

私はこれに対し、容貌の違いは生まれた風土に培われた結果である。そのため、育った風土を蔑ろにすることは、むしろ民族にとって生存のリスクになるだろうと思っている。というのもこのことは食べ物が民族の健康に与える影響とも密接に関係しているそうなのだ。例えば魚に含まれる水銀の値は日本人にとっては許容範囲であっても、魚を食べる食文化の無い国では、極僅かな量接種しただけで、すぐに水銀中毒を起すそうなのである。つまり我々人類が世界共通のハンバーガーを食べて暮らす生活は、僅か100年にも満たない歴史でしかない。ところが、これに比べて人類は生まれ育った風土の食材と共にその1万倍の時間をかけて命を繋いできたのだ。

このことから我々人類がこれからも健康的に暮らしていくためには、我々の命を繋いできた風土と密接につながりっていくことが大切ではないだろうか。

とはいえ現在の日本では風土の繋がりを意識するどころか、その関係性はむしろ希薄なものへと変化しているように感じている。そのことは都市の過密化であり地方の過疎化に現れているのだが、このことが問題になっているのは今に始まったことではない。このことに対して歴代の政府が対策を講じてきたはずだったが、いまだ解決の見通しすらついていないというのが偽らざるところではないだろうか。その結果、地方がとった苦肉の策が外国への身売りと非難される地方行政の現状だろう。

ではこの問題の原因となっているのは何かと考えれば、私はその原因の多くが地方の生業にあるのではないかと思っている。これを固い言葉にすると産業構造の変化で、私の住む北海道では古くは水産業、農業、林業、石炭という1次産業が経済を支えてきた。ところが、現在日本における1次産業はどのような環境にあるだろうか、残念ながらこの件に関してはいずれの地方においても衰退著しい産業といえる。

とはいえこのことを黙って見過したままでよいのだろうか、日本人はこの1次産業のおかげで何万年もの間、今日まで生きながらえてきたのである。ここを手放すことが日本人の生命にとってどれほど危険なことになるか、認識してほしいというのが私の願いだ。というのもこの1次産業が活躍できるのも、様々な技術の蓄積が必要であり、この継承には相当な時間がかかるはずだ。ところが現状ではそこに割く時間はあまりない、高齢化のため技術の継承に残された時間もあまり無いのが現状だ。私はここにこそ早急に異次元の資金を投入する必要があると考えている。そのためには経済コスト度外視で安全性の高い農産物の生産をすることや、屯田兵並みの人的支援が必要だとも思っている。このことにより地方経済の活性化と合わせて、日本人の健康と安全性の高い農産物はさらに多くの海外需要も見込めるに違いない。にもかかわらず現在の農業に対する姿勢は、日本国民が望みもしない虫の養殖に何兆円の予算を計上するなどまともな政治とは思えない。

それほどの予算があれば今の地方は、どれほどの活気を取り戻すことが出来るのか想像するだけでワクワクする。

 

4/22 日本の土地は誰のもの

現在日本の土地は、売買によって誰にでも所有することが認められている。ところで一旦購入された土地には、他人が勝手に踏み込むことはできない、しかもその土地から生まれる物の価値は、所有者のものとなり日本の法律によって厳重に保護されることになる。その保護は有事でもない限り国家権力といえども脅かすことはできないのだ。ただし、そこに建物を建てたり商売をするとなればそれぞれの法的規制を受けることになるが、その土地をどのように使わなければならないという決まりはない。

ところで最近,防衛力整備という言葉が世間を賑わせている。他国に侵略されないように武装しようということなのだが、現行の憲法とは馴染めるものではない。その溝を埋めるためには憲法解釈の注釈ばかり増えてしまい、結局一般人が憲法を理解することはますます困難になってきている。さらに憲法ばかりか財政法4条のように日本の経済発展に大きな影を落としている事案がある。これも敗戦国日本に負わされた頸木だそうだ。これによって財政出動はその根拠となる財源を示さなければならないらしい。

さらに、このような法的不備が日本の国防に大きく影を落としている例として、日本の不動産が海外に売られているということがある。この状況は、北海道で特に顕著で、観光地ニセコのホテルには宿泊の電話をしても、日本語が通じないという信じがたい状況になっているそうだ。

冒頭でも述べたが日本の不動産は、日本の国家権力が、法律上その土地の安全性を保障しているというこに他ならない。それが日本人以外の所有であっても日本国民の税金で守られるということになるのだ。

現在の世界情勢は武力紛争の懸念も重要だが、それ以外にも海外の脅威は経済や教育に深くかかわっていて、このまま手をこまねいていては、いずれオセロゲームのように国民生活自体が他国の支配下に置かれてしまうという怖さがある。これは単なる被害妄想などではなくイタリアやアメリカではすでに深刻な社会問題となっているからだ。このような経緯を遡れば、事態が公になる前から何十年がかりで計画されていて、結果が表面化してくるころにはすでに手遅れになる。このようなことが起こらないために国政があるはずなのだが、なにやら心もとない気がする、やはり国民が国の将来を見据えて政治に参加する気概がなければ国を護ることは出来ないだろう、我々国民に出来ることは、これを実践できる政治家を選ぶことしかできない。

 

4/9 日本を護るセキュリティークリアランス

先ほどTV番組の生放送に高市大臣が出演されていた。昨日に続きTVをほとんど見ないと言っておきながら毎日TV番組の記事を書いているようで我ながらあきれている。とはいえ私はもともとTVが嫌いだったわけではない、むしろテレビっ子と呼ばれても仕方がないくらいTVは好きだった。ところがひと頃から偏向報道などという言葉が、聞かれるようになってからは一定の距離を置くようになっている。つまりマスコミの報道に不当な作為を感じるようになってしまったからだ、そのことが顕著だったのが森かけ問題だった。そしてこの問題の根底には狂牛病などでクローズアップされた防疫という問題がある。この防疫に対する取り組みは各地に置かれた獣医学部が行うが、このことについて愛媛県知事の発言があったのだが、その場面をマスコミが取り上げることもなく、ひたすら総理大臣の説明不足という印象をばら撒いた。そこから垣間見えるのは情報のフィルターであり、もっと強い言い方をすれば国益とは反対方向へ誘導する情報操作だ。

そんなこともあり今の私はマスメディアから情報を得ることは、それなりの見識と覚悟が必要だと思っている。長い前置きになったが、高市大臣といえば年明けから国会中継の話題を独占してきた渦中の人だ。そんな人が今日のタイミングでTVの生放送に出演しておられた、いつものようにこれも偶然の視聴だったので私が拝見できたのはセキュリティークリアランスについて大臣自ら説明されている場面だった。

とかく秘密保持といえばすぐに治安維持法を連想する人も少なくなってきたのかもしれない。番組ではセキュリティークリアランスの必要性を感じる人はアンケート回答者の95%で、私はこのことに視聴者の意識はすでに変わってきたことを感じた。

というのも、この回答は過去に廃案となったスパイ防止法の騒ぎを知る古い人間の感覚からすると意外に思えたからだ。つまり、国民の意識は、騒ぎのあった1980年当時とはすでに変化しているということだ。

そんなことを思い出しながらも、私もこの番組からセキュリティークリアランスの必要性を認識することが出来た。説明では世界の最先端技術に触れるためには、当事者が身の潔白を示すための情報登録が必要であり、これがなければ世界の最先端技術に触れることはできないそうなのだ。日本経済を支える技術立国を維持すためには、この法整備は緊急を要する案件なのだ。

そのことの緊急性は、現在日本を取り巻く情勢は世界を2分する状況にある、例えば日本経済に影響を与えるレア・アースの問題では、資源国の中国は西側による半導体規制を受け、すでにその禁輸措置を決めているのだ。このことは、モーターを動力に使うEV車にとってバッテリーの供給に大きな影響を与える、つまり日本経済をけん引している自動車業界には死活問題だ。大臣はこのことについて日本は海洋資源の開発をすでに進めていると答えられていた、なんとも頼りがいのある大臣である。

とはいえこれほど政策に熱心な大臣に対する風当たりは今思っても異常に感じる、日本のためになどと思えば思うほど急に風当たりが強くなり、そのことはこんな些末なブログも見過ごさないのだ。結局あの不毛な追及でこれほど重要な政策に、国会の審議時間が失われてしまったことは、国家の損失といえる。とはいえこのような対立構図を理解することはそう単純なものではない。そのことは、現在のアメリカの状況を見てもその闇が深いことは感じることが出来る。今日ある選挙でも奈良県では不思議なことに自民党からは2人の候補が立てられている、このため一方は大臣と県連が推す候補なのだが、なぜかこの小さな県の選挙で自民党票は分裂することになりそうだ。

斑鳩の里と言われる奈良県、仁徳天皇陵のある大阪府ともに日本の歴史にとって重要な地である、世界のために日本を取り戻してほしい。

 

 

4/8 叩けよさらば開かれん

何事もやり始めること、やり続けることが大切だという意味なのだろうか、とはいえこの言葉が聖書であることは誰もがご存じの通りだ、ところがこの言葉に希望に胸を膨らませ、はるばる船でやってきた人たちの出鼻をくじいた国がある、その国とは黄金の国と言われた日本国だ。

とはいえ、彼らの信仰を拒んだわけではなく、その背後に隠れていた帝国主義に対して立ち塞がったのだ。そうはいっても日本が最初から抵抗していたわけではなく最初は極めて好意的に接していたが、ある日を境に日本は180度その態度を変えた。

このような布教活動に対し最初に弾圧を加えたのが太閤秀吉だったと言われる。しかしながら弾圧を加えたことは教科書に載っていてもその理由については違和感の残る説明しかない。その説明によると弾圧は、秀吉の治世を安定させるためには、宣教師の布教する平等や平和主義の思想が馴染まなかったと書かれていた。そんな理由に私は違和感を感じながらも渋々受け入れていたが、人生の経験を積めば積むほどやはりその理由には納得できなくなってきた。

そうこうするうちネットの普及のおかげで、その理由についてようやく納得のいく答えを見つけることが出来た。最近知ることになったその理由とは、布教の裏に隠されていた植民地支配という目的だ。このことを知った秀吉は、すでに日本人が奴隷として海外に送られていることに激怒し、そのことを見過ごした大名には厳しい沙汰が下された。このような流れから歴史を見直すとあの理解しがたい秀吉の大陸進出にもなにやら合理性が見えてくる。つまり日本の黒い歴史とも伝わるキリシタン弾圧も、東アジアの状態を知れば知るほど否定し難いものに思えてくるからだ。

このような構図から見えてくるものは、その行為が国益という大義のうえに立って行われたことなのか、ただ利権に寄り添い私腹を肥やすために行われたことなのか見極める必要があると言うことだ。そうでなければ我々の未来も歴史に倣い利益をただ吸い取られる人生しかなくなる。家畜のように従順で言論の自由もままならず、自分で好きな未来を思い描くことも出来ない、これが400年以上続いた東アジアの歴史なのだ。残念なことに戦後の日本は着実にその悲しい歴史に近づこうとしている。それが我々の未来であっていいのだろうか、我々の未来は現在我々の選択で決まる。

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Posted by makotoazuma