G-BN130W2PGN

お問い合わせ先

mail@makotoazuma.com

 

2023年 日本を護るために

2024年5月1日gallery,ようこそ

2023年 8月21日 特別と当たり前

先日動画で外国人の方が日本のサービスと賃金について語られていた。なんでも日本におけるホテルサービスは、このままでは世界に通用しないだろうと力説しておられた。

そこでは富裕層向けのホテルサービスを例に、日本人の低賃金についても話されていた。そもそも富裕層をターゲットにするホテル業は空室を減らすようなサービスを考えてはいけない、何故かといえばホテルの稼働率を上げて空室を減らしては富裕層から緊急で宿泊の依頼があった場合対応が出来ないからだ。海外ではそのような富裕層の期待を裏切ることがないように、高級ホテルの稼働率は60%程度に抑えておくのが常識だそうだ。そしてそのような最上級のお客様に対応するスタッフの待遇も格段の賃金をもって処遇すべきなのだそうだ。これまでの低賃金で働かされる日本のスタッフに、海外の富裕層が求めるサービスは決してできないというのがその方の説だ、私もこの意見には全く賛成なのである。確かに海外での一流と言われるサービスはスマートで決して顧客を不快にさせることは無い、まるで監視カメラで見張られているのかと思うほどこちらの動作で顧客が何を欲しているのか瞬時に見抜いているようだ。

とはいえそんなサービスを受けることが出来る人は稀にしかいない、そのためそんな優秀なスタッフを常時雇うには飛び切りの賃金を払わなくてはならないのだ。とはいえこの世界は庶民的な日本人にはなかなか想像のつかない世界ではないだろうか、そのようなコストをかけても気分よく宿泊できる富裕層たちというのは、いったいどれほどの数いるのだろうか。このことをもう少し掘り下げると、彼らの求めるところとはコストに見合う特別感なのだろう。これは大変理解しやすく合理的な考え方なのだが、なぜか日本人にはこの世界的常識が通用しない、黙っていると、スマイル0円などと勝手に言いだしてしまうのだ。

世界中の常識ではサービスはコストに応じて手に入る特別なものだ。ではこの常識に対して日本人はどのように考えているのか、それがサービスは当たり前という考え方なのだ。つまり人を喜ばせるための行為は平等で当たり前のものだという思いがそこには潜んでいる、要するに、何れの方もともに喜びを分かち合いましょうという暗黙の了解が日本文化の根底に流れているのではないだろうか。

このことを象徴する出来事が、先のエリザベス女王の国葬で天皇皇后両陛下が移動に際して、特別な配慮を求めずバスをご利用されたという出来事に見つけることが出来る。両陛下にとってこのようなことは何もこの日だけのことではないそうだ。私は此処に日本人の求める喜びの理想を感じている、このようなことを言うと気の早い人はすぐに左翼思想だと決めつけるかもしれない。なるほどこのような日本人の在り方を見て旧ソビエトのスターリンは最も成功した社会主義国だと言ったそうだが、では逆に社会主義を目指す国が何故ことごとく行き詰ってしまうのかと考えれば、私はその答えに社会主義にしろ資本主義にしろ同じ原因があるのではないかと考えている。

それは何かといえば、それは唯物論という思想にあると考えているのだ。この思想はその根底に物質は絶対な存在で、喜びは物質で表現することが出来る。これを基本にして喜びの創造であるサービスに置き換えると、サービスは物質である賃金から生み出されるという考えになるのだ。

ではこの考えをさらに飛躍させるとどうなるのか、例えば人口がこのまま増加し続けるとすれば、それにつれて喜びの需要も増え続ける。ではその需要に見合うだけの喜びを供給するとすれば、いまある喜びを細分化する必要が出てくるのではないか、これでは生命の誕生など喜べるはずがない。ところが日本人の発想はあたかも無限に分かち合えるパンでも手にしているようだ。確かに実際のパンには限界がある、では喜びに限界はあるのだろうか、私は喜びに限界はないと考えている、それは喜びが物質と繋がるものではなく、むしろ精神的創造と繋がっていると考えるからだ。

つまり喜びは物質の様に有限で特別なものではなく、すでにこの世に備わっていて無限の精神から供給されるものだと考えているからだ。

gallery,ようこそ

Posted by makotoazuma