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思考ラボ

2024年5月2日gallery,ようこそ

2024年 5月2日 AIからの挑戦状

といっても本当にそんなものが届いたわけではなくて、サムネの中にAIが俳句を解釈したら
こうなった。とあったので覗いてみたら松尾芭蕉の「雲雀より空にやすらう峠かな」という
句に対するAIの解釈が載っていた。因みにこのAI氏は石松圭一氏といい
株式会社EmolutionCareerの製作によるAIだそうです。
このAIについては人間の感情に興味があり、「世界の、プラス感情の総量を増やす」ことを
ミッションにしているそうで、私も大いに興味をそそられるところです。

さっそくこの句に対するAI氏の解釈を見てみましょう。これによると松尾芭蕉の「雲雀より
空にやすらふ峠かな」という句は、自然の中での平和と静けさ、そして一瞬の逃避を捉えて
います。この俳句は、雲雀が空高く舞い上がり、そこから見渡す峠で感じる安らぎを表現し
ています。4月の時期のイメージとして、この俳句は春の訪れとともに自然が目覚める様子、
そしてその中での人間の感情の移り変わりを描いています。というものです。

確かにこの句の単語を繋ぎ合わせて解釈するとAI氏のような解釈になると思いますが、では
芭蕉はこの句を通して本当は何を表現したかったのでしょうか。私は芭蕉のイメージと言えば
徹底的な観察による自然主義的な俳句だろうと想像していました。というのも奥の細道は、2
万4千キロを実際に旅しながらの創作であり、このことから芭蕉は徹底的な現場主義者という
イメージが定着していたからだと思います。しかしながら奥の細道を見れば実際には現場に到着
する前にすでに句が出来上がっていたという場面に何度も遭遇します。何を言いたいかと言うと
松尾芭蕉の句は、目に映る景色の他に心の中に据えた思いの表現があるということです。

このことを奥の細道で言えば、西行法師や義経への思い、或いは仏頂禅師に師事することで悟り
を得たことによる、芭蕉の境地を知ることが出来ます。また禅の世界では悟りの境地を山に例え
ることがありますが、有名なところでは「独座大雄峰」という言葉で、この言葉は弟子が修行の
ご利益を百丈禅師に尋ねたところこのように答えたと言われます。つまり悟りの姿を揺ぎ無い峰
に例えています。

ところで芭蕉が詠んだこの句では峰ではなく峠かなと表現されています。峠と峰の違いは、峠は山
の頂に至る道を表現していますが、峰は山全体の姿を指します。

つまり芭蕉はこの句で悟りの姿というよりは、悟りに至る道に注目しているということです。その
ような芭蕉の思いを心に据えてこの句を味わってみると、雲雀は春の季語ですが、天めがけてまっす
ぐ羽ばたいていく存在でもあります。それに対し芭蕉の旅は一歩一歩たえず歩みを進めなければなら
ない旅です。このことを悟りへの道と解釈すると、芭蕉は峠に向かって曲がりくねりながらも続く道
をたどり、いつしか雲雀が駆け上がる空をも超えた頂きにいるということではないでしょうか。

整理すると雲雀とは悟りの世界に一足飛びに至ろうとする思いで、それに対し芭蕉は日々の積み重ね
がより高い平穏の境地へと至る道であると言っているようだ。

それにしても言葉の世界は奥深い「ぶぶづけでもおあがりやす」といわれても「それではお言葉に甘
えて」と言ってはいけません。「これから用事がありますので、せっかくですがお暇します」という
が正解になります。でもこれをAIに期待するとAIも嘘つきになってしまうのではないでしょうか。

 

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Posted by makotoazuma