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思考ラボ

2024年5月2日gallery,ようこそ

2024年 3月19日 心の経済

などというものは、恐らく愚かな考えに思われるかもしれない。というのもほとんどの人は心を数量的に考えることをしないはずだ。とはいえ世の中のお金の動きを見ると、お金も気からという言葉が良くあてはまる、つまり景気も気からなのである。

今日は日銀の政策決定会合の発表がある、巷で聞かれるのがマイナス金利政策の解除だ。とはいえ短期金利が上昇するのかといえばそれは、短期の資金需要が増えると自動的に金利が上がるということで、会社が銀行口座から給与をどんどん支払ってくれなければ資金需要は生まれない。つまりそのような社会構造にならない限り短期金利は上がらないのだ。

それよりもっと怖いことに、メディアの記事にはイールドカーブコントロールを撤廃しようなどともとれる見出しを見かける。まるでYCCが金融緩和そのものともとられかねない見出しだ。このYCCは、現在ほとんどの場合が既発債の価値を下げないために日銀が買い支えをしているということがある。つまり国債の人気がなくなり価格が下がると日銀が既発債を買い取ることで国債の暴落を防いでいるのだ。

例えばこの先、長期国債の新発債で金利が上がることがあれば、金利の低い既発債は魅力を失いすぐに価格は暴落してしまう。こうなった時の円安は救いようがない、もし日銀がYCCを止めるといえば個人で国債を保有している人は、その点充分気を付けなければならない。

ところで現在マスコミに登場する経済学者は何故か、日銀の金融緩和を歓迎していなように映る。確かに世の中の経済を見渡せばあまり上手くいっているようには見えないのだが、その原因は金融緩和にあるのだろうか。そんなことより以前の株高では巷にお金があふれ出し、株価に連動してあらゆる階層の人間がその恩恵を受けることが出来た。ところが、今そうなっていないのは金利の操作よりも、以前とは経済の仕組みが変わってしまったというのが合理的な解釈だと思う。現在の経済を見れば、どこかにお金のブラックホールでも出来たのかと思えるくらいお金の循環が滞っている。

さて長い前置きになったが、私が今日言いたかったことにはお金には限界があるということだ。確かにお金は便利なツールには違いないが、そこだけにスポットを当ててしまうと、人間として何か大切なものを忘れてしまうのではないかという思いがある。

というのも人間が戦争という概念を持たなかった縄文時代に、そこでは貨幣は流通していなかった、いやむしろさせなかったのではないかとさえ思っている。しかもこのような生活は中世の鎌倉時代まで、ひっそり続いていたのではないかと私は思っているのだ。何故そんなことを思うのかといえば、函館の志海苔というところに縄文時代から続く遺跡があり、そこから巨大な瓶に入った明銭が見つかっているからだ。驚くことに、そこに埋まっていた明銭の量は日本最多なのそうだ、言い換えればその場所に日本最大の富豪が住んでいたともいえる。ところがその場所には豪華な御殿が建てられ栄華を極めていたあともなくただ土の中に埋められていたのだそうだ。

因みに松前藩では京都に並ぶ極めて豪華な暮らしをしていたことが、江差の屏風絵として描かれている。

これを漫画風に言えば、彼らが反乱を起こすための軍資金を着々と貯めていた証拠と考えてもいいのだが、私にはまるで、彼らがお金の価値を拒否していたかのように感じている。とはいえ今となっては彼らが何故そうしたのは分からないが、鎌倉時代から北海道を治めていた松前藩も、そんな彼らの生活スタイルを尊重し対等の付き合いをしていたようだ。ところで北海道の土着の民族といえばアイヌを思い浮かべる人も多いが、この時期アイヌは樺太経由で北海道に渡来した民族ということが分かっている。ところが、縄文人はその遥か昔の1万6千年以上に渡り日本各地に定住していることが分かっている。そのことからも、縄文人こそ本来の北海道土着の民族と言える。というより縄文人は現在の日本の領海を越えて海洋民族として各地の民族と積極的に交流していたようなのだ。

だからと言って縄文人の痕跡を現在の日本文化に示すことはかなり難しい、というのも日本国中に存在の形跡を見つけることは出来るが、具体的に現在に伝わる姿を形として示すことは難しいからだ、それはまるで水か空気のように縄文文化は他の文化と交わりその境界線を姿を消しさっている。

それでは貨幣経済がなくなるとどのような生活が垣間見えてくるのか、恐らくそれは所有といういわば自我の崩壊につながるだろう。つまりそのことはいずれ誰のものでもないという意識に繋がってしまうのだ。とはいえこの状態が良いことなのかどうかはそれぞれの受け取り方があるだろう。例えばイエスキリストのように神殿の前で商っている商人を神殿から追い払ってしまうことは、誰にでもできることではない。だからとhttps://makotoazuma.com/wp-content/uploads/2023/02/IMG_1687.jpg言ってお金が命だと信じ込むのは、世の中をあまりにも狭く受け止めることになるのではないだろうか。経済とは人々をより幸せにするシステムとも言われている。HQより

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Posted by makotoazuma