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思考ラボ

2024年5月2日gallery,ようこそ

2024/3/1 思考のまとめ⑪ 未来は決まっているのか

これまで私の感じる世界観を思考のまとめとして掲載してきた。私の頭の中では物質の存在も生命が同じ記憶を共有しているところから生まれる認識だと思っている。そして生命とは何かそれは未来を創造(認識)するために生まれた、現象世界にあたかも孤立して存在しているように感じる個性だ。では何故わざわざ孤立した個性が生まれるのかといえば、それは、我々が認識できない大いなる意志が存在しているとしか思えない。

ところがこのような考え方でどうしても腑に落ちないことがあった。それが予知夢やデジャヴュだ、こんなことをいえば急にスピリチュアルやオカルトチックに思われるかもしれないが、私としては現象が起こっている以上、好奇心を掻き立てられないことの方があり得ないのだ。

とはいえ物理の専門家がこれを学問的に説明することは、困難だと思われるに違いない。幸い学問のない人はこのような困難を感じることなく自由に物事を考えることが出来る。要するに私にとって自分の認識できる納得が得られればそれで良しとすることが出来るのだ。

早速人間はなぜ予知夢やデジャヴュを体験するのかを考えてみる。以前からこれに対する答えとして、未来はすでに決定しているという説があり、これは運命論とも言われている。この考えが優れているところは、自分は自分の人生に責任を負わなくても済むところだ。この考えで困ることは困難を乗り越えてまで何らかのモチベーションを維持しようとは思えなくなることだろう。しかも行着くところは結局人生には何の意味もないということになってしまう。

これとは別にもう一つの有名な解釈がパラレルワールドというものだ。物理の世界でも物質が生まれればそれに対になる反物質の世界が生まれるそうなのだ。ところが、物質の世界と反物質の世界の境目はどこにあるのかと聞けば、世の中にそのような壁があるとは聞いたことがない。あるいは何にで出来ているのかは分からないが、この世にはパラレルワールドという無数の世界が存在しているという説もある。これは可能性の数だけ世界は存在しているというもので、私はこの考えについては、一体可能性とは何にかといえば、これまた収拾のつかないことになるのではないだろうかと思ってしまう。

そこで私はこのことを個性の認識する時間軸という考えから、この難問を紐解いてみた。これは個性とは認識のことであって、この認識こそが時空間を創っている、そしてこの時間軸とは勿論肉体としての一生という意味でもある。

要するにこの時間軸における経験の蓄積が無意識世界の大きさを形成していると考えているのだ。さてこの時間軸だが恐ろしいことに素粒子の世界では観測の如何によって過去の事象も観測の影響を被るのだそうだ。しかも観測者の意識もこの結果に大いに影響を与えるそうなのだ。例えば、サイコロの実験では観測者が念じる賽の目が結果に影響を与えてしまうようなものだ。ということは、これからの物理学者はスピリチュアル世界の知識も必要になるのでは、と思われるくらいの発見が続いているのだそうだ。

そこで、この世の時間軸は個人の認識に支配される、ということをもう少し深堀してみると、時間の認識にはどうしても超えられない決まりがある。それは今から過去は認識できるが、今から未来は認識できないということだ。

つまりこのような決まりがある中で、未来の影響によって過去の結果が変わってしまった場合、そのことを過去の人間はどの様に受け取るのかという問題が起こる。このことを考えてみると過去の人間は目の前で起こっていることが未来の影響を受けているとは感じないはずで、それはすでに未来で起こった事象が現在に影響を及ぼしているという発想自体がないからだ。とはいえこれを現象ではなく顕在意識の中で起こる予知夢やデジャヴュとして感じると、これは得体のしれない不思議な体験をしたということになる。

つまり未来を追体験してしまったと認識するのである。そうだとすれば未来世界が既に存在しているというよりは、未来の認識が過去に遡って今を認識しているため、あたかも未来はすでに決定していたかのような錯覚を覚えるということではないだろうか。

話を整理すると個性は自分という認識の時間軸を創造することだ。ところが、この時間軸という認識は過去に遡って影響を及ぼすことが出来るのだが、未来を認識することはやはり出来ない。このことから逆に言えることは、今の創造行為がすべての時間軸に影響を与えている可能性があるということだ。「いつやるの、今でしょ!」というのはこういうことなのかもしれない。

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Posted by makotoazuma