新 思考ラボ
2025年 2月12日 自信とは
読んで字のごとく自分を信じることに違いない。そしてこれがなければ人間は未来に向かって一歩も踏み出すことは出来ないだろう。というのも生きるということは誰もが日々初めて体験する未来に踏み出すことだからだ。そしてその自信は結局、その人の過去の成功体験によってもたらされるものだと思っている。とはいえ成功の思いが自信となるためには、その分母となる経験の数にも左右されるはずで、成功体験は経験が少ない人ほど持ちやすいのではという見方もある。要するに子供の頃は秀才と言われる人も、様々な経験を要する社会に出た途端その輝きが失せてしまう場合もあるからだ。結局何故そんな自信が持てるのかという問いは経歴や肩書もないのに、なぜそれほど偉そうなことを言うのかという問いにもなる、つまり極論すれば社会にとってそんな人達の発信は社会に混乱を招くだけだという見方になる。
ところでこの点、科学者という立場の人は、このような言動には全く怯まないようだ、世界的偉人トーマスエジソンの言葉に「私は失敗したことがない。ただ、1万通りのうまくいかない方法を見つけただけだ」というもので、このような科学者は、もともとあらゆる想定に対しての実証を試みないと気が済まないという、一般人とは違ったものの見方をする方達なのだろう。このことを傍から眺めるとわざわざ失敗するために一生懸命努力を積み重ねているようにも見えるからだ。因みに天才は1%のひらめきと99%の努力というエジソンの言葉が有名だが、実際のところは1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄になると言いたかったらしい。さてこのようなものの見方をする人には、自信があるから人は未来に踏み出せるという言葉はあてはまらなくなる。つまりこのような偉人の原動力となったのは自信があるからということばかりではないようだ。
結局、そんな1日16時間も研究に明け暮れるエジソンの背中を押し続けていたのは未来への飽くなき好奇心と、社会への貢献という志なのだろう。つまり社会貢献といえば自信があるからやりましょうと言う事ではなく、止むに止まれずという沸き立つような思に促され、気が付けばそうしていた、ということではないかと思うのだ。
話は変わるが、この社会貢献は目に見える発明品という貢献ばかりではない、社会への注意喚起や警鐘もそんな社会貢献に含まれるのだと思う。私なども、なんの肩書を持ってこれほど偉そうな記事を書くのかと言われれば返す言葉もない、とは言え今世界中で起こっている非常事態に対し本来、真っ先に警鐘を鳴らす立場のマスメディアが何らその役目を果たさない状態にあるのだ。そのためこれに対してSNSなどを利用して個人の有志が自らの思いで立ち上がっている状態にある。これを見かねてか、一流芸能人の方が今、USAIDについての警鐘を鳴らしてくれている。このことで、この内容が世界中で明らかになれば現在マスコミの報道に何故、これほど偏りがあるのかと言う事まで白日の下に晒されることになるだろう。しかしながら、この動きが途絶え水泡に帰すことにでもなれば、それは人類の破滅に繋がるとまで思っている。願わくは、この情報を得られた方は民主主義の仕組みが残っている内に、是非ともこの問題に目を止めて欲しい。