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2023年 日本を護るために

2024年5月1日gallery,ようこそ

2023年 9月22日 また鼻が伸びてしまった!

このままでは家のピノキオの鼻には葉っぱどころか、りんごの実でも生やしてしまうに違いない。とはいえその実は国民の生命だとしたらふざけてばかりもいられない。

ところで、先日ニューヨークで開かれた国連の安保理事会で我が国の首相は人間の尊厳について演説をされたとあった。この時点で私は自分の顔から火が噴き出すような思いがした。確かに演説で述べられた趣旨は分断やイデオロギーの対立を超え世界は強調して平和に望むべきだと口では言っているのだが、本当に誠意をもって述べた言葉かといえば、私にはまったくその誠意が伝わってこないのだ。というのもこの会議の流れを見れば、この言葉が本心からの言葉かどうか容易く理解することが出来る。

もし現在のウクライナ戦争を人類の危機と捉えているなら、戦争の原因を明確にしどちらの側にも公平に妥協点を探るというのが、仲裁の基本ではないだろうか。ところがこの会議の演説は最初から、ウクライナ大統領の演説から始まったそうで、しかもこれに対する日本の首相の発言は、ロシアには有無を言わさず「ロシアはウクライナからただちに立ち退け、話はそれからだ」と言ってのけたそうだ。さきほど分断やイデオロギー云々と言っておきながらこの言動は如何なものだろうか、あまりにも一方的な立場での物言いではないだろうか。

つまりこれでは初めから世界平和など考えての言動とは受け取れないのだ。しかも核拡散防止に触れ、この推進のため日本は30億円の拠出を約束したそうなのだが、これは広島G7での発言を引きずっての物だろう。ところが、この核拡散防止とは何かと考えれば持っているものは仕方がないが、後のものは保有を控えろという核保有国優先の考え方なのだ。こんなものに被爆国である日本の税金を投入して良いものだろうか、まともに考えれば日本が、先頭に立ってこんな核拡散防止ではなく世界中から核兵器廃絶の推進をするべきではないだろうか。

その為の税金投入であれば、これは無駄なお金とは言えないだろう、すでに政府は戦争中のウクライナに対し58兆円とも言われる復興支援を約束しているようだが、なんとこれは30億円の2000倍の金額になる。はたしてこの支援にどれほどの正当性があるのだろうか、これが人道的配慮というなら、今まで日本は戦後復興のイラクに対しどれほどの支援をしてきたのか疑問になる。

しかも戦争に負ければ世界戦争も辞さないと、世界中を脅す国に対し日本は何の道理でそれほどの支援をしなければならないのだろうか。そんなことをするくらいなら、核廃絶に特化して資金を回し、それに賛同する国に対しては復興支援基金として無利子で基金から融資した方がよほど世界のためになる。アフリカや中東では国が自立するため、紐付きではない資金を欲している国がいくらでもあるだろう、このような資金の提供はひいては移民問題の解決にもなるものと考えられる。

このことを実現させるためには、今の常任理事国が主導権を握る国連の体制では不可能だ。

今回のウクライナ戦争は人類最大の危機ではあるが、人類が平和に向けて歩みだす最大のチャンスでもある。我々人類は戦争解決の手段を手に入れ、人類を壊滅させてしまうことになる核兵器を速やかに手放すこと、この2点こそが今、世界が取り組むべき課題ではないだろうか。その為には自分の面子のために国を利用するような、人間としての尊厳を傷つけるようなことをしてはならない。

人間の尊厳とは何か、いろんな解釈があると思うが、私はそれを魂の清らかさだと思っている。ピノオは人間の清らかな魂を手に入れるため旅を続けた、その思いは自分の欲を捨て自己犠牲のもとに得られたような記憶がある。

 

 

2023年 9月18日 自分で何をしているのか解らずにいるのです

イエスキリストの最後の祈りは、自分を処刑しようとしている執行人に対しての祈りだった。「父よ彼らをお許しください、彼らは何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカ伝23章34節)

最近ある国で内閣改造が行われたのだが、それに対する首相のコメントが炎上していたようだ。なんでも新しい内閣には女性の大臣を多く起用したそうだが、これに対して首相のコメントは「ぜひ女性ならではの感性や共感力を十分発揮していただきながら、仕事をしていただくことを期待したい」というものだった。これのどこがおかしいのかといえば世の中の潮流いわゆるジェンダーレスの世界を目指す人からすれば許しがたいコメントだったようだ。というのも女性ならではという言葉に女性蔑視の思いがこもっているのではないかというのだ。

つまり先日、無理やり国会で通した法案もその根底にはこの発想がある。この流れから首相のコメントは、首相が先の法案にたいしてその核心を何ら理解しないまま、あの法案を通したことが露呈しまったのだ。これでは非難されるのも当然のことだろう。私は男女の性の違いは人間が考え込むより遥か以前から存在している事実であり、そして一方の性差別とは、その後の人間社会が歴史の中で生み出した解釈である。だとすればむしろ注目しなければならないのは、その解釈にあるのではないだろうか。

性差は人類の誕生前から自然界に歴然と存在している事実である。つまり性差とは、その生存圏において種が効果的に繁栄を得るための資質とも言えるのではないだろうか。このことから性差による身体能力の差を社会に対し肯定的にとらえ、そのことで国家を創造していくことが政治というものの当たり前の役目だと思っている。

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Posted by makotoazuma