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2023年 日本を護るために

2024年5月1日gallery,ようこそ

2023年 8月1日 集団安全保障が人類を滅ぼす?

そんな馬鹿な話はないと怒られるかもしれないが、今人類を滅ぼしかねないウクライナ戦争の流れを辿ってみると、このような見方も頭から否定することは難しいのではないかと思う。私がこのように思い出したのは、現在解決の見通しのつかないこの戦争が、どこかのタイミングで停戦可能だったのではないかと考えたからだ。当然ベストなタイミングといえば武力行使の始まる前に違いない。

ところが現在のテレビ報道では、突然ロシアが領土拡大を目論んで侵攻したという認識になる。そしてそのことはロシア有利な停戦はウクライナが武力に屈服してしまうことを意味する。いくら私でも国の主権が武力で侵されることは受け入れがたいことだと思っている。だからこそこの戦争の経緯は慎重に理解する必要があると思っているのだ。

さらに問題なのはこの戦争の影響が、世界中に波及し食料やエネルギー不足による混乱とその流通を支える通貨にまで深刻な影響を及ぼしていることだ。このためこの戦争の停止を望むことは、多くの人々の切なる願いに違いない。

とはいえ、このハードルを越えることは並大抵のことではない、すでに両国で多くの命が失われ、多くの幸せな家族が崩壊してしまっている。このことに対する憎しみを乗り越えることは、神の御技に委ねるしかないとも感じるからだ。

そのような思いでこの戦争の始まりがどのようであったのか、当時の報道を振り返ってみた。すると戦争の前年である2021年の暮れにはプーチン氏がアメリカ側に対して声を荒げている様子が伝えられていた。内容はNATO東方不拡大条約草案についての同意だった。つまりNATOへの加盟国をこれ以上増やすなということをアメリカに保障しろということらしい。たったこんなことで何百万人の人が家を失い、飢餓の危険に瀕しているということなのだろうか。

それにしてもこの条件をアメリカが保証することはアメリカにとってどれほどの不利益になるのだろうか、というのもアメリカがこの戦争を支援するためにつぎ込んだお金とこの原因を比べると、この戦争がどれほど不条理なことなのか理解できる。というのもNATO北大西洋条約機構といえばソ連崩壊とともにその目的は終わっていただろうし、ロシア側の懸念も口約束とはいえ当時の首脳がハッキリと否定していたと伝えられているからだ。ところが実際にはこの約束は果たされることがなく、ロシアの周辺国は次々NATOに加盟していった。挙句の果てにはとうとう身内と思っていたウクライナまでNATO加盟を言い出してしまったのだ。つまりこのことにでロシアは平和的な外交の道を閉ざされてしまったということになる。

この発言の後、ロシアは軍事演習を名目にウクライナ周辺に軍隊を集めている。つまり領土的野心のために一気呵成に武力侵攻を行ったという説には無理がある。というのは軍事演習が始まり実際の侵攻が起こるまでは、しばらくの時間を要しているからだ。つまり侵攻は中国に配慮してか北京オリンピック終了を待って行われているからだ。つまり侵攻は偶発的でもなければ大統領の気まぐれでもない、侵攻は緻密に計算されて、充分な期間の威嚇行動も示されていたのだ。

先ほどのニュースでは、ICCがロシア軍により、強制的に連れ去られたとする疑惑の子供たちを一部ロシアが戻して来たと報道されていた。このことも裁判で糾弾されるような子供たちの連れ去り方とは受け取りづらい。どう見ても子供たちの安全を考え疎開させたという範疇ではないのだろうか、もし何ら子供たちを保護する意識のないまま誘拐したのであれば、おそらく子供たちが無事帰ってくることは無かったのではないだろうか。なにはともあれ、最低限食事や身の安全は確保され、人身売買などの危険も合わなかったことは幸いではないだろうか。報道によればこの戦争で480万人が連れ去られたと報道されている。そのうち70万人が子供だったようだ、これほどの数の人間を当人が納得しないまま短期間に運び去ることは可能だろうか。これは北海道民が一斉に連れ去らわれたということと同じだからだ。

さて、このような不幸な出来事と集団安全保障と言われる北大西洋条約機構の加盟、確かに軍事力に乏しい国にとって主権を守るためには必要なことのようにも考えられる。ところが冷静に考えれば加盟国同士、常に利害関係は一致するのだろうか、また、今回のように同盟国ではないロシア側とは常に対立しなければならないということも考えづらい。つまりこのような集団安全保障というのは直接の対立がない国同士を関係のない戦争に巻き込み、実際発生するかもしれない隣国同士の紛争解決には武力行使は不可能になる。これでは果たして国が武力を持つ意味はあるのだろうか、少なくとも同じ集団安全保障にある隣国同士は常に話し合いの解決しか外交上選択の余地はなくなるだろう。そんなことが出来るのなら、わざわざ敵国を創らずともすっかり武器を捨ててしまってはどうかと思いたくなる。

 

 

 

 

2023年 7月30日 三方一両損

また落語の話と思われるかもしれない、ただこの話には現在の絶望的な世界情勢に対し大きな示唆を与えるものだと思っている。話は言わずと知れた大岡裁きで、3両(今の価値で40万円近い)、の入った財布を拾った主人公は、落とし主に拾った財布を返そうとする。ところが、落とし主は中身の3両を受け取らず持って帰れと突き返される。こんな設定は今のグローバル社会では想像することすらありえないのである。こんな荒唐無稽な噺でも日本人はなんとなく理解できてしまうのだから日本人は異質だと思われても仕方がない。ところがこれで噺は終わらない。財布の中身を返された主人公は、それで納得できず、江戸時代の裁判所である奉行所にお金を受け取らないこの男を訴えた。さて、この判決が有名な大岡裁きとして伝えらる三方一両損だ。

内容は裁きを行う奉行も加わり、当事者それぞれが一両づつ損をすることによって両者の公平性を保とうという考えだ。当然江戸時代においても、こんな事件が実際あったとは考えづらいが、注目しなければならないのは、江戸の庶民はこの大岡裁きのどこに共感していたかということなのだ。それは、つまり公平性というところだろうと思う。

一見、原告被告ともども地面に座らされ、身分や立場の違いがハッキリしていた時代のように感じるが、実際、江戸の庶民が望んだのはそこを超えた公平性にあった。

さて、このことを現代の世界情勢に当てはめてみるとどうだろうか、ウクライナ戦争は未だ仲裁の目途はついていない。結局、双方の望む停戦条件には隔たりがあるからだろう、もちろんそのための武力行使なのであって、以前は国力の差がこの限界になっていた。ところが今の戦争は後押しをする国の支援によってこの限界を不透明なものにしているのだ。

このような状況で周辺国は懸命に双方の国に仲裁を持ちかけているが、双方ともこの条件に耳を貸そうとはしない。とはいえこの戦争が周辺国に悪影響を与えているのは間違いない。特に緊急性が高いのはアフリカ等への穀物が止まっていることだ、また西側諸国でもエネルギーの高騰で社会インフラはかなりのダメージを受けているはずだ。さらに言えばこのような目先の困難さばかりでなく、現在双方で盛んに使われるようになったクラスター爆弾は、この先も復興困難な土地をどんどん増やしている、おそらくこのままの戦闘が続けば、たといウクライナにロシアの支配する領土が戻されたとしても、住民が再びその土地で安全に暮らせる可能性はなくなるだろう、このことはこの先も難民問題が簡単に収まらないことを意味している。

ではこの戦争の停戦を仲介するとすればどのような方法があるのか、現在のところ可能性を考えればミンスク合意の履行しかないだろう。そのためには西側はウクライナへの軍事支援の中止を直ちに伝えることだ。今回NATOの会議でウクライナの加盟が認められなかったというのは、ウクライナへの軍事支援はNATO加盟国の義務ではないことを明確にしているからだ。

このような環境においてロシアに最も中立な立場で停戦を呼び掛けられるは日本以外に無い。ここで停戦の条件としてロシアが日本に期待するところは、おそらく経済協力というよりは地政学的期待の方が大きいだろう。

つまり、その期待は日本の中立であり、日米安保の破棄にあるのではないだろうか、というのもロシアは帝政時代から海洋進出に並々ならない力を注いできたのである。そのため今回の停戦条件でも、ロシアはクリミアの覇権を絶対に手放すことはないだろう。とはいえ今回の戦争でロシアは海運にたいする安全性を著しく低下させてしまったに違いない。このため日本との友好関係が出来れば、ロシアは極東からの太平洋進出が容易になる。

このように日本が自国の安全性をかけて両国の仲裁に臨めば、停戦にも可能性が出てくるのではないだろうか。もちろんその為には日本は独自に相応の軍事力を整備しロシアとも対等な外交関係を結べる体制を整えることが必要になる。法整備が得意な現政権は周りの期待が高まれば実現できないはずがない。ただこのまま、非人道的な兵器が躊躇なく使われていては、核兵器の使用を絵空事のようにとらえることは単なる現実逃避に他ならない、まずは停戦によって新たな平和の仕組みを世界は話し合わなければならない。

 

2023年 7月28日 報復の連鎖

今世界中を報復の連鎖が覆っている。やったらやり返せ、残念ながら武力による解決はこの呪いから解き放たれることがない。とはいえ日常生活で全く争いごとの無い世界は簡単に実現できるものではない。

それは過去の日本においても変わることがない。とはいえ日本では武力衝突はあっても相手を完全に滅ぼしてしまうまで争うことは稀だった。それより明治維新では最後まで新政府軍に抵抗した敗戦の将、榎本武揚はその後新政府に取り立てられ、その才能をいかんなく発揮することが出来た。

ところでそこまでの歴史的偉人ではない、江戸時代の庶民生活はというと、とにかく喧嘩っ早い、しかもただ怒りぽいのではなく、喧嘩にすら美しさを表現しようという、いわば喧嘩マニアのような狂気を持っていたようだ。

そのことを落語が伝えるところでは、わざわざ喧嘩に使う口上を常日頃研究していた節があるという、あきれた好戦民族なのである。とはいえうっかり裁判沙汰にでもなれば、これも喧嘩両成敗というのが決まりだった。ところがその裁きに偏りがあれば300年たった今でもその裁きに庶民からクレームがつく、忠臣蔵の義士に対する当時の判決は江戸庶民にとっては不当だとされたようだ。

このように日本人のメンタリティーは争いごとを完全否定するのではなく、いかに争いごとを綺麗に収めるかに掛かっていたようだ。このような視点で今の世界情勢を見ればどうだろうか、戦争は収まるどころかどんどん飛び火しているようではないか。つまり本来国際紛争を鎮めるためのこれらの機関は、はたして両者の立場に立って適正な判決を下したと言えるのだろうか、今現在ICCの日本判事をロシアの大統領は使命手配するという驚きの行動に出でた。おそらくこれは以前ICCがロシアの大統領に対して行った判決に対する報復なのだろう。では一体なぜあれからしばらく時間の経過した、このタイミングで報復が行われるのか、それはあれ以降事態が深刻な状況に向かっていることを示しているからだろう。

このサインに対し日本政府は真摯に向き合う必要がある。そうでなければ国民はさらに危険な事態にさらされる可能性が出てくるからだ。このようなサインは去年の1月ごろもロシア軍の動きから読み取れたはずだが、結果的に西側はそのサインを見逃してしまった。今度のサインは日本に向けてのサインである。そのため日本は従来通りの遺憾の意を伝えるだけの対応ではなく、ロシア政府と膝を交えてこの問題の解消に取り組むべきだろう、防衛力整備とは正にここにある。

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Posted by makotoazuma