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2023年 12月21日 AIに驚く

このブログでもAIの記事については何度か乗せたことがある。最初は単純作業の代替のようなもので、およそクリエイティブな世界に通用する技術ではないと思っていた。ところが最近、その技術が創り出す画像が絵画の公募展で賞を取ったなどというニュースが届いたり、まさかと思ってその絵を覗くと劇画調の作品で大変素晴らしい。ならばもっとメルヘンチックなタッチやマチエールが際立つ表現主義的な作品も得意のようだ。

おそらく駆け出しのアーティストにとっては、かなり手ごわい競争相手になりそうだ。とは言いながら以前偶然見つけた記事でAIの制作した絵画を元にAIが俳句を作るという面白い企画があった。ところがその絵は素晴らしかったが、なぜか5,7、5の文字配列しかない俳句にAIが苦戦していて私はほっとした記憶がある。ところが最近ここにも手ごわいAIツールが現れたのだ、その名をAI一茶君という北大の研究によるらしい。

ところでこの記事に載せられたAIの作品はすでに人間の作った作品と判別がつかないほど進化している。残念ながらこのままAIが進化を続ければ、人間の作った作品との差はいずれ埋められてしまうに違いない。

とはいえ絵画にしろ俳句にしろそれを作品として認めるかどうかは、やはり鑑賞者である人間の認識しだいなのだ。この点でこれらのAI作品は現代アートの流れである、作品の価値は鑑賞者の認識に依存するという流れと矛盾しない。ではこの流れが進めば、これからのアートの制作はすべてAIが担うのだろうか、そこでの人類の役割は鑑定士のようなものになるのかといえば、私はそのような世界が生まれることはないと考えている。

というのもAIの創造とは基本的なパターン認識の構成であり、それを超えることはできない。例えば絵画を例にとるとAIが作品を制作するとすれば、そこには絵画の価値を決める標準が必要になる、AIはこの壁を超えることは出来ないのだ。つまりAIの創造というのは、あくまでもその作品の持つ雰囲気にAI作品を似せることだ。ところが人類の辿った美術史を見ると、天才の作品は常に標準となる基準を乗り越えてしまう。なのでもしAIが美術史を学ぶためにフォンタナ作品を学んでしまったらと考えるとなんだか恐ろしくなる。

因みにイラストのAI作品との見分け方によると、AIは描かれているモチーフのパーツについては理解してはいないのだそうだ。例えばイラストに衣服が描かれていてもAIはその衣服の生地が連続した布を表現しているとは受け取らないので、布に描かれた絵柄なども細部を見ると図柄として成立していないそうなのだ。確かにそのような視線で改めてAIの俳句作品を見るとその俳句に使われている単語は果たしてAIが特定の情景を思い浮かべて導き出したものかと考えれば、AIの俳句はAIの経験から導き出されたものではない。つまりAIの俳句はそこに使われている言葉のイメージを勝手に鑑賞者が自分自身の経験と重ね合わせているだけなのではないのか。

さてこのようにAIの技術はますます発展していくことは間違いないだろう。意外だったのはこれにより単純な肉体労働よりも早く、高度な知的労働の方が先に無くなりそうだ。だからと言って人間が肩身を狭くすることもない、かつてのローマ帝国市民のように労働は奴隷の仕事と考えられていた時代もあったそうだ。同じ人類が労働を強制されるとなれば心苦しい思いになるが、人間の作った機械のことなら面倒なことは大いに任せて。人間はもっと暢気に構えて、新たな喜びにだけ目を向けることが出来ればこれほど楽しいことはない。

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Posted by makotoazuma