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2023年 日本を護るために

2024年5月1日gallery,ようこそ

2024年 1月4日 さざれ石を見つける

今日は穏やかな天気に背中を押されて山上大神宮に初詣をすることが出来た、とはいえ港から函館山に向け一直線に伸びる参道の坂は社殿が近づくほど急こう配で、参道の階段を上り切るころにはさすがに息が切れる。ようやく境内までたどり着くとここで遊んでいたころの記憶が蘇ってくる。今では考えられないことだが、雪の積もったこのように急な坂道はそのまま子供たちの遊び場になっていた。私の親の世代ではこの坂を港の近くまで一気に滑り降りることが可能だったそうだ。

境内にはその土地を護る賽の神も祀られていている。いつもは杉の根元でひっそりしているのだが、今日は偶然そこに日の光が差し込んでいてなんだか有難い気持ちになった。

ところで以前ご紹介したさざれ石どこで見かけたのかはっきり思い出せないでいたが、きっとここの手水場のことかもしれない、いまは雪に埋もれているが、雪が消えるとこの岩が手水鉢になっていることが分かる。さてこの不思議な形の石、これが日本の国歌に歌われるさざれ石なのだが、国家に歌われるほどの岩なら、どれほど立派な岩かと思うだろう。ところが実際目にしてみると、いくら立札にこれがさざれ石ですと書いてあっても、私はすぐに受け入れることが出来なかった。なぜなら君が代の歌は全体主義の象徴であるように教わってきたからだ。つまりそこから想像されるさざれ石のイメージは均質で整っておりしかも巨大で威容を誇るようなそんな立派な岩だ。

ところが実際さざれ石を目にしてみると私の印象ではあるがこのさざれ石の印象は、歪でしかも一つとして同じ姿のない石ころが寄り集まっている姿で、それまで想像していた大層なイメージはどこにもない。ハッキリ言ってこの岩がどこまで大きくなったとしても歪な姿は変わりがないという驚くべき事実に衝撃を受ける。つまりこの岩の姿に何らかの方向性を見出すとすれば、そこには様々な個性の石がそのままの姿でただ寄り添っている姿しかない。これが日本人が国家としている君が代の理想の姿ではないだろうか。要するに同じ価値観、同じ基準を尊ぶ全体主義というよりも、様々な個性がこの国を大切に思い寄り添うことが君が代本来の精神であり大調和の心ではないだろうか。

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Posted by makotoazuma