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2023年 日本を護るために

2024年5月1日gallery,ようこそ

2024年 2月6日 防衛について

国の防衛がなぜ必要かそれは、国民の命を守ること同時に、国の主権を守ることだろう。また主権とは何かといえば国民の意思の反映ではないだろうか、要するに国の行く末は日本国民が決定するということが、国の主権を守ることだと思っている。なので国の防衛とは、何らかの理念を護ることが優先するものではないというのが私の思いである。

さて、国の主権を維持するためには、古来より大きく分けて2つの道がある。1つは武力により主権を維持すること、もう一つはマリーアントワネットのように女性を姻戚関係の道具とすることだ。残念ながら世界の歴史は良くも悪くもこの二つの選択によって維持されてきた。

とはいえ最近はここにお金の力というものが幅を利かせてきている。ただしこの力は国境を持たないので、一般庶民のほとんどは目にすることができない。確かに日本は円という自国通貨を維持しているが、その価値を支えているのは米ドルである。このため防衛を武力のみで考えることは、すでに時代にそぐわないことなのかもしれない。

とはいえ大変僭越なことではあるが、今日は日本国の防衛を国家安全保障戦略から考えてみたい。私はこれまで防衛大綱への不満を何度も投稿してきたが具体的な防衛3文書については触れてこなかった。そこで今更ながらではあるが、どの点が問題に思っているのかをここに記してみたいと思う。参考にするのは防衛省・自衛隊のホームページから国家防衛戦略の概要を参考にする。

まず初めに防衛大綱は国家安全保障戦略、国家防衛戦略、防衛力整備計画という3つの文章で構成されている。この計画は2022年からおおむね10年かけて取り組まれる方針になる。この中で大本になる文章が国家安全保障戦略で、この文章に関して私は全く異論がない。ところが次に示されている、国家防衛戦略が何とも不思議な内容なのである。というのも国防は国の主権を守ることであり、主権が国民にある以上、外国の都合がそれに優先するということには納得出来ないからだ。

国家防衛戦略の資料によれば(3ページ目)重視する7つの能力がある。その能力として真っ先に挙げられているのがスタンドオフ防衛能力だ。私がこれまで何度も問題視していた能力のことだが、この資料では敵の弾道ミサイル攻撃に対し、反撃をすることが出来る能力と書かれている。ところが実際、この対象となる相手国の弾道ミサイルは固体燃料を使いトレーラーで、ミサイル発射後もすぐに発射地点から遠ざかることが出来る。これに対抗する為の能力が地上を這うように進む巡航ミサイルだと言われても、正直それは無理でしょというのが私の思いだ。

次にこの戦略には同盟国、同志国等の協力とある、ここでも特別目に付く文言が「力による一方的な現状変更は許されない」という言葉だ。これはNATOや国連の使う合言葉と同じなのだが、問題はこの戦争は、はたして一方的な現状変更と断定できるのかということだ、というのもロシアの言い分によると、侵攻の切っ掛けは停戦合意が守られていなかった為だと主張しているが、この点国連は公平な立場でこの主張の検証を行っているのだろうか。もしロシアの主張通りであれば、ドンバス紛争の停戦合意は認められず、紛争は継続されたままだったと見るのが正しい見方ではないのか。次に我が国への侵攻を我が国が主たる責任をもって阻止、排除するとなっているが、なぜこのような一見当たり前とも思える文章がわざわざ差し込まれているのかお気付きだろうか。結局日米安保を基準にするとこのような表現にならざるを得ないからだ。

さて実際このような方針で防衛力の整備が進められているわけだが、私はこれらの文章には全く想定外の危機を感じている。私はむしろこちらの方が現実に起こりえるシナリオではないかと思いこの記事を書いているのだ。

そのシナリオとは日本国内から起こる暴動だ。我々日本人が他国からの侵略といえば、沖縄戦やノルマンディー上陸作戦のようなイメージになっているのではないだろうか、私はそんなことを成功できる国がどれほどあるのかと思っている。というのも太平洋戦争の末期すべての海軍兵力を消耗しつくした日本に対して、上陸作戦でアメリカ軍が想定した人的被害は100万人と言われている。これは机上の事だけではなく戦死者に対する勲章をアメリカは事前に準備していたそうだ。実際それだけ上陸作戦は難しい、というのも現在では世界中の海岸線は常時偵察衛星で見張られているからだ。

ところが一方テロによる危険はますます加速している、それは暴動による社会的混乱だ。特に最近外国人が日本に居住するケースが増えている。現在のところ日本はこれに対し規制を掛けるどころか、むしろ緩和の方向で動いているが、このことがさらに進めば、この先何かしらのコミュニティーによる衝突が起こる危険性は排除できない。しかも、現在世界中で繰り広げられている悲惨な戦争のほとんどの原因がここにあるからだ。

こんなことを言えば、日本に暮らす外国籍の人を非難しているようにとられるかもしれないが、私が言いたいのはむしろその逆だ。というのもコミュニティがある限界を超えればそのような危険は急激に高まるからだ。そのためすでに日本国籍を取得している人も、率先してそのような危機に合わないように共に考えてほしいと思うのだ。

前置きが長くなったが、例えば私が暮らす北海道で何らかのコミュニティーが出来、それを外国人が先導することで極めて組織的な暴動が起こっる可能性がある。日本は現状でこれを鎮圧することが出来るだろうかと考えると、それにはかなりの困難が起こる。もちろんこれは規模にもよることだが、人口約500万人の北海道だけでも、海外から訪れる観光客は年間300万人を超えているのだ。このような状況で警察だけで北海道の治安を維持することは出来るだろうか。当然そうなれば治安維持も自衛隊に頼らざる負えない状況になるのだ。このようなことに対する危機管理が防衛戦略の中に視られただろうか。もしこんなことになれば市街戦やゲリラ戦の対応も必要になるのではないだろうか。

何よりもこのような事態においては、真っ先に通信を遮断されてしまう危険も大いに考えなければならない。このため通信インフラを護ることは、国防の最重要課題ともいえる。これを管理するNTTドコモは国の通信インフラを護る機関として国が管理していかなければ、どうやって国の防衛は成り立つのか、これは自衛隊を株式会社にするのと同じ愚行といえる。現代の戦争はサイバー戦と言われるように通信等をどのように確保するかの戦いでもある。このように考えれば国防はこれらの文書以外にも政府がコンセンサスとして政策に反映されていなければ何の意味もない。

最後に核兵器の脅威に対し政府の考えは、核廃絶を訴えるのではなく、あくまでもアメリカ軍の核抑止力に頼ることを宣言している。つまり核兵器あっての平和なのだ。

さて抑止力という考えの基本として、力による現状変更が不可能であることを相手に知らしめるという考えがある。そうだとすればあらゆる可能性に対して細かく抑止力が発揮できることを知らしめる必要があるのだ。この文書を読むとミサイル攻撃に対し、すべてを迎撃することは困難なため反撃能力が必要とのことだが、私はそれも先に述べた通り、この反撃能力はほとんど機能しないだろうと思っている。ではどう対処すべきか、それはうち漏らすことを想定し、市民の避難先を優先に整備すべきというのが私の思いだ、そのためには巡航ミサイルより先に国民の避難先を優先に予算を向けるべきではないかと思っている。

また、私が現在の戦争で、もっとも恐れるのは内部からの攻撃で、いくら装備を整えていても機密保持や政府が間違った判断をしてしまえば日本の安全はひとたまりもないという思いに至っている。

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Posted by makotoazuma