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2023年 日本を護るために

2024年5月1日gallery,ようこそ

2024年 3月4日 百年目

私は落語を聞いて怒りに震えたり、いやな思いを引きずったことがない。それは噺家が上手なのかといえば、もちろんそれも大いに関係してくると思うが、噺家もワイドショーなどで素直に自分の意見を言ってしまえば大炎上してしまう。

だとすれば落語は、そうならないように練りに練られた物語だということが分かる。ところで、落語には笑う要素ばかりではなく人情に触れる名作がある。芝浜、たち切れ線香、柳田格之進、中村仲三など、私に人情の温かさを伝えてくれるのだ。そしてそんな情の世界を何より大切だと感じ、そんな落語を陰ながら支えてきた日本の聴衆がいる。私は、そんな聴衆があってこそ、初めて名人の話が生きてくるのだと思っている。

さて先日放送された落語研究会では黒門付きの柳家権太楼氏登場に、会場から待ってましたの声が掛かっていた。演目は百年目というお話しだが、なにが百年目かといえば敵に巡り合うのが百年目ということで、それほど敵に巡り合うためには厳しい覚悟が必要だったのだろう。

ところで、落語の話題なのに「日本を護るために」というあまり似つかわしくない投稿で取り上げたのは、現在日本経済にとって落語は昔からの大切な日本の心を教えてくれる良い教材だと思うからだ。因みに景気の動向を示す今日の日経平均株価は一時4万円を超える値が付いたそうだ。この株価は以前バブル景気と言われた時を上回る日経平均始まって以来の高値だ。

とはいえ、あのバブル崩壊前の日本の状況を知っている者からすれば、現在の一体どこが好景気なのかと不思議に思えるくらいだ。私が知る好景気の時代には、東京の銀座では夜になるとタクシーが渋滞して、それを無理やり捕まえるために現金が乱れ飛んでいた。実際タクシー運転手のカバンは一晩でチャックが閉まらなくなるほど膨れ上がっていたのだ。そんなことを思い返しながら、この百年目という落語を聞くと、なるほど商いというものに対する価値観が今と昔では大きく違ってしまっていることが分かる。

この落語をざっくり説明すると、ここには大番頭さんという会社の社長という立場の人間と、その会社のオーナーである会長(旦那)、そしてその他の役員社員。それを取り巻く歓楽街の人々という設定になる。昔は大企業の社長も9歳で親元を離れ、店の丁稚奉公を続けながら小さいころから企業人に育て上げるという方法をとっていたようだ。つまりその会社で必要になる教養や技術を会社が付与するという、舞妓さんを一人前の芸子さんに仕立て上げていくようなシステムの社会だったようだ。そこで企業にとって最も必要とされたのが商才というよりも、まじめさや正直さという信頼のおける人格なのかもしれない。この話に登場する番頭さんも店の中では、世にいう遊びとは全く縁がない人間のように思わせていたのだが、ある日の花見でこの番頭さんが芸者衆を貸し切りにして豪遊しているところに、偶然別行動で花見に来ていたオーナーと鉢合わせしてしまう。

これで今まで築き上げた信頼をすっかり失ったと思った番頭さんは、すぐに店に帰って床についてしまった。後から帰ったオーナーの旦那は、この番頭を諭すために呼び出し、そこで話されたのが旦那のいわれだ。旦那の語源は栴檀(せんだん)という立派な木とその根元に生えるナイエン草という草との共生で成り立つという。この話は企業内部の在り方を諭しているのと同時に、企業を取り巻く社会に対する心構えの話にも聞こえてくる。というのもこの旦那は番頭のあのような散財を嘆くのではなく、むしろあのような余興があれば、どこの会社よりも派手に遊んでくれと仕向けるのだ。要するに企業は社員あってこその企業であり、社会あってこその企業であることを諭しているに違いない。そんなことを思いながら、現在の日本のありようを見ているとずいぶん隔たりがあることを感じる。

私はこのような立派な社会が、百年目にならないことを祈っている。

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Posted by makotoazuma