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2023年 日本を護るために

2024年5月1日gallery,ようこそ

2024年 3月10日 神の摂理

ウェキペディアより

 

 

 

 

 

 

 

 

この絵はイタリアのアッシジにある有名なジオットーの作品で、聖人フランチェスコを描いたものだ。因みにこの聖人が一生懸命語り掛けているのは木々や鳥たちで、従来の西洋絵画ではあまり見られないモチーフなのだ。ところが、日本人がこの絵を見ても全く違和感がない。むしろこのような場面は仏教絵画では当然のモチーフであり、神道でも動物が人間の言葉を話すことは当たり前に受け止められているからだ。

ところで、この画家の作品がルネサンス絵画の始まりという記念碑的な意味を持つのは、この画家の作品が劇的な画面構成とそれによってもたらされるドラマチックな感情の変化を見事に表現しているところにある。というのもこれまでの宗教絵画は、正教会のイコンに見られるように、絵画は静的で形式に則ったあくまでも象徴としての対象だったのが、ジオットーはこのような表現をまるで映画のワンシーンでも切り取ったかのような劇的な表現に変えてしまったからである。

さてこの絵のモチーフに話を戻すと、聖フランチェスコが何故鳥や木々に向かって説教をしている場面を描いているのかといえば、この絵が象徴するところは、人間社会を超えた大いなる神の摂理に対する寓意ではないだろうか。つまりこの世ではすべての現象が、神の意志に基づいて表現されていると説いているのだ。そのような見方に立てば、神の摂理は生きとし生けるものだけに留まらず、大地や水、火や風すべての自然現象が神の御意志の賜物だと言うことになる。

ところで先ほど、この聖人と同じ名前を持つローマ教皇が、ウクライナ戦争について白旗を挙げる勇気を持ちなさいとTVインタビューに答えられていた。教皇といえば現世の平和は勿論のこと、本来から言えば我々人類の永遠の魂救済を願ってのことになる。つまり白旗を挙げることは、この世においては大変屈辱的なことかもしれないが、神の御前においてそのような屈辱には何の意味もない。それよりむしろ神が我々に示された言葉とは隣人を愛すことであり、それこそが永遠の命に至る道と言えるだろう。恨みと恐怖に突き動かされ、それに従うことは神の言葉に耳を塞ぎ、この世の奇跡を虚しくするものだ。なぜなら今ある命も神の意志により、これまで受け継がれて来たものと思うからだ。

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Posted by makotoazuma