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2023年 日本を護るために

2024年9月22日gallery,ようこそ,今日のできごと

2024年 3月11日 答えは自分の中にある

というより答えは自分の選択である、と言った方が良いかもしれない。私がニュースを視ながらいつも不思議に思うのは、あれほど立派な肩書を持つ人が何故これほど理解に苦しむ答えを出すのだろうという思いだ。例えば政治家の方や官僚の方などこれ以上ないほどの学歴や経歴を持たれている。こんな人が間違ったことを言うはずがないというのが、これまでの世間の常識ではないだろうか。

つまり餅は餅屋に任せておけば間違いがない、そんなところに素人は口を挟むべきではないという考えだ。ところがこのような状態が続けばどうなるのかといえば、自分の理解の範囲を超えたものには関心を示さないという状態になる、つまり無関心ということになるのだ。ところが現代社会には民主主義という考えが広まってしまった。

さてこの民主主義とは何かを考えれば、民衆が自分たちの意志で物事を決めることのはずで、この意志を政治に反映させるための仕組みが多数決なのだ。なので多数決には正しい選択も正義の選択などという意味はない。すくなくとも数の暴力などという言葉は民主主義を目指す言葉には当てはまらないのだ、あるとすれば民意の最大公約数ということになる。

さてこのような民主主義の社会で政治に対する無関心が起こっているとしたらどうなるのか、私が最も心配するのはこのような民意が無関心に向かう中で、政治に対しどのようして民意を反映させていくのかということだ。特に民主主義の場合、選挙というものが民意のバロメーターになるが、選挙民に政治への関心がなければ、わざわざ自分の貴重な休みを潰してまでも投票所に向かうだろうかということが浮かんでくる。逆に選挙民に政治への関心が高まれば顔写真入りのポスターなどがなくても、或いは街宣車がなくても選挙民は立候補者が何を訴えているのか関心が向く筈なのだ、つまりお金の掛からない選挙が出来るという訳だ。

私はこのようなまともな流れを失っているために、現在のお金に依存する政治の体質が出来てしまったと思っている。何を言いたいのかといえば、政治の倫理を正すためには、派閥を解消したり裏金を暴くことが政治を正すことになるのだろうか、むしろこのまま規制を強くすことは、元々あった政治家の志を失わせ、何も言えない政治家が出来上がってしまうのではないだろうか。

私は本来どの政治家も元々大いなる志を抱いて政界に臨んでいるものと信じている。それは何とか自分の理想を社会に反映させて社会の役に立とうという志ではないだろうか、とはいえ政界に入ったとしても理想の実現のためには、さらに多くの壁が立ちはだかってくるのだろうそのために意識を結束させるために出来たのが、派閥ではないかと想像している。さて今回政治倫理の不振を招いた原因は自民党政倫審本部の見解では、原因は派閥体制にあったと結論付けたいようだが、果たしてそれでいいのだろうか。というのも私はこの事件の経緯には納得できないものを感じているからだ。要するにこの事件はパーティー券の政治資金収支報告書の記載に問題があるとされていたが、これまで、政治資金パーティーはかなり多くの政党や派閥で行われていたはずなのだ。ところが今の段階で、すべての政党、派閥で記載に漏れがなかったと地検のお墨付きが出たのだろうか。

もしこれがうやむやのままだとすれば、日本の政治は大変なリスクを抱えたままになるのではないだろうか。というのも日本が、これから一大事の決断を迫られた場合、このようなリスクを抱えたまま日本の政治家はまともな決断や発言が出来るのだろうか。政治家によっては、リスクを恐れるあまり自分の信じる意見さえ発言できない環境になってしまうのではないかと心配している。このような不透明な環境での厳罰化は果たして国民の民意を反映できる政治環境と言えるのだろうか、私が危惧するところは政治家がそのようなリスクを恐れるあまり民意や国の将来について顧みなくなることだ。

今でも政治家の身分というものは憲法におおいて一般人とは異なる特別の待遇として扱われている。そのことは政治資金の帳簿を正しく仕上げることではなく、国民の代表として民意を政治に反映させていくという大事な使命があるからだ。さらに言えば派閥解消が政治不信を解消につながることのように言われているが、憲法では集団を組織してことに当たる自由は保障されている。これは困難な課題に対して集団で対処することを認めるもので、このことは立場の弱い労働者にも認められている権利なのだ。私は今回起こった政治倫理の騒動は、もう一度政治の基本に立ち返り、いかに民意を政治に反映させることが出来るかという視点でこの問題に臨んでほしいと思っている。