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2023年 日本を護るために

2024年5月1日gallery,ようこそ

2024年 4月3日 先住民族とは

なぜこれが問題になるかといえば、国の主権を超えて国防にまで国連の干渉を受けるからだ。これがまともな考えでないことは世界の歴史を見れば明らかで、それをここにはコサックが先住していたとか、ゲルマン人が居たとか歴史を掘り返したところで意味がない。それより今問題にするべきは、今現在において民族に対する国家的な、抑圧に対し糾弾することだろう。

ところで、この問題は国連の内政干渉以外にも国内の分断という問題も含んでいる。大袈裟なようにも聞こえるが、過去の大戦の切っ掛けが、このような民族意識を煽ることでもたらされている。

しかも今回の出来事は、国の政策ともいえる教科書の記載についてのことなので、うっかりミスや考え方の違いとは言えないだろう。義務教育の教科書というのは、自由な発想や公平な解釈よりも国としての立場を表現したものに他ならない、だからこそ義務なのだ。ところが歴史認識の正確さすら保たれない教科書が、国費で子供たちに与えられこれを基準とした評価を子供たちは受けている。

このような危険性を認識して、もう一度アイヌが土着の先住民族かどうか考えてみると、やはり腑に落ちない疑問が残る。それは日本固有の歴史には縄文時代というものがあり、それらが発見される遺跡は日本中に点在している。因みに、東北、道南一帯では特に顕著な史跡として昨年世界遺産登録を受けたばかりだ。これに対しアイヌの生活には土器は登場しない。要するに彼らの生活は狩猟採取が中心で、縄文人のように栗の木を植林したり、その実を煮炊きしたり保存したりするようなことはしない、つまり彼らの生活には土器は必要ないのだ。では縄文人とアイヌは全く交流がなかったのかといえばそうとも思えない。恐らくは入れ墨や精霊信仰など精神的な交流はあったのではないだろうか。

つまり彼らが北海道に渡ってきたころには、鋭利な刃物を使い鉄の鍋で煮炊きをする文化がすでにそこには存在していて、彼らはそれらを素直に受け入れ自分たちの文化を発展させていったと考えるのが自然ではないだろうか。

私が何を言いたいのかといえば、彼らの営みは鎌倉時代の日本文化なしには成り立たないのである。それでは、なぜ鎌倉幕府は他国の覇者と同様に彼らを征服しようとしなかったのかだろうか。理由は2つ考えられる一つは北海道ではまだ稲作を定着させることが出来なかったため、土地に対する魅力を感じなかった。もう一つは彼らが貨幣経済を受け入れなかったことで、彼らとの交易はほぼ物々交換で済み、取引の条件としては、かなりの好条件で交易を成立させることが出来たとは考えられないだろうか。

それではアイヌが土着の縄文人ではないとすれば、北海道の縄文人は一体どこに行ってしまったのか。あれほど長きにわたって縄文時代を築いた縄文人はいつの間にか日本の歴史から忽然と姿を消したことになる。というのも今の日本中どこを探しても、私が生粋の縄文人だと名乗る人はいない。それでも縄文人はこの世からすっかり消えてしまったとするのは早合点だろう。なぜなら日本人の遺伝子は、周辺国の民族とは明らかに違う特徴があるのだそうだ。縄文人はこの後続く弥生人と水のように混じり合い姿を消してしまったのだろう。

謎はこればかりではない、このように縄文人は、日本の歴史からその痕跡をすっかり消してしまったにもかかわらず。何故アイヌ文化だけは600年近くも、その姿をとどめて居られたのだろうか。巷ではこのような民族意識をことさら煽ることで、日本を文化的に分断させ、ゆくゆくは外国に占領されてしまうのではという懸念を持つ方がいる。ここからは、私の全くの妄想になるのだが、アイヌが今日までその文化を保てたのは、もともと日本の方がアイヌを樺太と日本が繋がっている既成事実としていたとしたらどうだろう、つまりそれによって樺太での日本の立場を担保していたのだとは言えないだろうか。

というのも、ペリー来航から翌々年の1855年に、早速江戸幕府とロシアは日露和親条約を結んでいる。その結果日本人とロシア人が樺太で混在して暮らしているという認識を双方の国が共有することになった。後の1875年に千島列島と樺太は物々交換されることになるが、この時大活躍したのが、函館に立てこもった幕府脱走軍の将、榎本武揚だったという。その後の戦争によってこの条約は何度も変遷を繰り返すことになるが、要するに日本はアイヌを樺太と日本を結ぶ懸け橋とするために、アイヌを日本人と同化させるのではなく、その存在を際立たせておく必要があったのではないだろうか。

私は多様な文化を否定するつもりはないし、墓を暴かれるような非礼があればそれは正されるべきだとおもう。そうではあっても歴史の事実を捻じ曲げることは、それぞれの文化を侮辱するものだ。というのも私はアイヌの文化で言えばいわゆる精霊信仰のような土地を敬い土地の恵みと共に暮らすという考えには大変共感している。そのような生活様式が今日に伝えられていることには誇りにさえ感じている。その一方で彼らの背後にあって日本の主権を脅かす存在いることも同時に感じているのである。とはいえ個人が何を感じ何を大切に思うかはやはり個人の自由に違いない。そうは言っても、これが国家という立場になれば別なのである。国家は国の安全と存続を最も優先されるべきなのだ。

つまり、日本の将来を担う子供たちにとって歴史の混乱を招くような粗悪な教科書であってはならない。たとえ律令制度が行き届いてはいなかった土地だったとしても、だからと言って北海道は日本ではなかったと言うことは出来ない。何故なら律令制度が始まる遥か前から縄文文化は日本に存在していたからだ。

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Posted by makotoazuma