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2023年 日本を護るために

2024年5月1日gallery,ようこそ

2023年 11月24日 核による平和?

私にはあまり合理的な考えと思えないのだが、これが正しいと思われる方も世の中には意外と多い。特に祖国愛を語る方に多く見受けられるので、このようなタイトルの投稿を私はなるべく避けて通りたいと思っていた。

とは言えあえてこの話題をするのには2つの理由がある。1つは日本人のプライドについてである、それは祖国愛に溢れる人が皇統を護ろうということに通じる。何故かといえば私は皇統を日本の歴史そのものと考えているからだ、その歴史を辿れば、天皇が武力によって臣民を威圧した歴史はない。どこまで辿っても臣民は尊崇の念をもって皇統を支えてきた。つまりこれほど人類愛に貫かれてきた歴史は日本国をおいて他ないと思えるほど清廉潔白で、それに対し核の保有というのは神代から続く日本国の歴史を穢すものだと考えるからである。というのも核兵器の破壊力はコントロールがしがたく、使用においては必ず無抵抗の市民をも巻き添えにする兵器だからである。つまり無差別テロとその発想はほとんど変わりがない。これを保有しておきながら、人道や平和を語るなどということは偽善に等しいのではないだろうか。

2つ目には、これに掛かるコストである。現在の日本はこれらの兵器をすでに大量に保有する国と海を隔ててはいるとはいえ見事に隣接している。果たしてこれから、日本がこれらの核保有国の脅威となるまでの核配備をするとすれば、どれほどの費用が掛かるのか、それこそ減税どころの話ではなくなるのではないだろうか。しかもそれを維持するためのコストを考えれば、当然孫子の代までこれに掛かる負担を強いることになるのだ。

これらが私の考える核兵器のデメリットになるが、では核配備によって得られるメリットは何かといえば、私はこれすらほとんど当てがないことのように感じている。というのも核保有国が平和を維持できたという論説も、現実を見れば否定的にならざるを得ない。このことは核保有国の歴史を見ることでも明らかになることで、一見核保有国が戦場になることは、今までなかったにせよ、その代わり自国から離れた他国の地が悲惨な戦場になっている。しかもその戦いで核保有国が常に有利だったのかといえば、そうではないことは今目の前で起こっている戦争の状況を見ても明らかなのだ。

私は子供の頃、太陽がこれからどんどん膨張を続け、いずれ地球の軌道も飲み込んでしまうという話を聞いて絶望的になった思い出がある。それを慰めてくれたのが、ワープ航法などが出てくるSF小説だった。何億年も先のこととはいえ、そんな物語を読むと自分は亡くなっていても、きっと人類は宇宙を旅して生き残っているのではないかと胸をなでおろす。つまり人類の携えた科学はきっと命を運ぶ箱舟を可能にするという希望が湧いてくるのだ。一方核兵器はそんな希望をもすべて灰にしてしまう、もともとの発想が見境のない殺戮が前提なのだから仕方がない。はたしてこんなものを保有することが、日本の未来に対する平和の選択と言えるのだろうか。改めて核兵器を考えてみても、これにより平和も維持できない、コストもかかる、人道に反する兵器であり、日本の魂を穢すことになる、これで日本の何が守れるというのか私には疑問なのだ。

因みに私も無抵抗でいれば日本の平和が維持されるとは思っていない。というよりそんな危険なものに頼らなくても、日本はすでにとてつもない可能性を秘めた防衛兵器を手に入れているのではないかと思っている。それが先日護衛艦での実験に成功したレールガンだ。今回は護衛艦での実験だったそうだが、むしろその能力をフルに発揮するためには航空機による運用がもっとも効果的になるのではないだろうか、例えば対潜哨戒機P1や大型輸送機C1の機体を使った運用だ。本来レールガンは2千キロをこえる射程が可能で、この特性を生かし高高度から艦船への攻撃が出来れば、これに対する反撃は不可能になる。さらに言えば護衛戦闘機と複数の機体による打撃軍を編成すれば、日本本土への上陸作戦は計画することすらできないだろう。しかも核兵器の配備に比べこれに掛かる費用は比べ物にならないほど安価で済むのだ。私はこれからも日本人が自国を素晴らしい国と言い続けられるためにも人道的に清廉潔白であり続けるべきだと願っている。

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Posted by makotoazuma