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2023年 日本を護るために

2024年7月27日gallery,ようこそ

2024年 6月11日 国防と鉄路

戦争が総力戦という概念でくくられたのは意外と新しい。要するに戦争は戦闘行為を行っている者たちだけに留まらずそれを支援した国家国民全体がその責任を負うという考え方だ。このような考え方が成り立つのは近代の戦争は国の生産力と密接に関わっているという考え方による。つまり、近代の戦争はその国の工業力を担う国民までが攻撃の目標とされているのだ。つまり戦争は戦闘行為とそれを維持するための補給で成り立つことが常識となり、武器を持たない非戦闘員までもが攻撃対象となることに抵抗を感じない風潮が支配的となっている。

その先駆けがアメリカの南北戦争で、軍事的に不利だった北軍を勝利に導いたのは補給の差だったと言われている。そしてこの圧倒的な補給力を支えたのが、鉄道という近代の大発明だ。私は未だにこれに代わる陸路の輸送はないと思っている。つまりこの技術なしに国の防衛を云々することは、非常に心持たない。一般的に有事における輸送といえば、武器弾薬の輸送ということを想定しがちなのだが、市街地に戦果が及ぶと想定される場合は、一刻も早く当該地より市民を移動させる手段が必要になる。要するにこのような緊急時には鉄路に勝る輸送手段は考えられないというのが私の思いだ。

具体的に鉄道は読んで字のごとく、鉄でできたレールの上に台車を載せ一多量の物資や人を一気に移動させることが出来る。たとえここが、一時的に破壊されてもこのレールを元通りにするだけで、すぐに輸送を再開できるという鉄道の優れた特徴がある。これに対し規模にもよるがトラックによる輸送を考えれば、同じように道路が破壊された場合、その復旧は意外と手間がかかる。あるいは、それ程のことがなくても、同じ道路を使った輸送では渋滞というアクシデントも、必ずつきまとうのである。

要するに鉄路は国防のための重要なインフラだということなのである。現在このような施設の維持を国は、地方と民間に丸投げし、ただでさえ過疎化が進む地方では採算が取れず、鉄道の維持は地方財政を圧迫させる元凶になっている。実際このような鉄路は軒並み廃線の憂き目にあっているのだ。このような事態を解消していくためには、鉄道の存在意義をもう一度問い直す必要があるだろう。

つまり鉄道を輸送や交通手段として、地方の市場原理で維持することは不可能に近い、結局採算の合う路線によって地方の路線を維持するということが最も理にかなった方法になる。結局のところ分割民営化は国家としてのインフラ維持を弱体化させその存続すら危うくさせてしまうという、国民としては大変残念な結果に至っている。そればかりかこのような愚行は郵便、電話という国民の目や耳に相当する機関に対しても行われ現在は風前の灯火という状況だ。

そこで、このままかつての体制に戻すことが困難であれば、これらの施設は有事対応のインフラとして国が管理すべき施設と考えてはどうだろうか。つまりこの施設は利用料によって採算をとるのではなく、有事において国民の安全を守るための施設と考え、鉄路の整備や気動車の整備を国防の一環として行うものだ。その上で貨物輸送等の民間需要が見込まれれば、その事業を民間に払い下げることも可能になるだろう。日本を不沈空母に例えた大臣がこれほど重要な国のインフラを手放すとは皮肉なものである。

さてこのような整備を行いつつ継戦能力を高めるためには、防衛装備品の貯蔵施設を確保することが必要になる。このような施設は地上に建てられるよりも、地下深くにあってしかも既存の鉄路と連結していれば尚さら都合が良い。そんな貯蔵施設にうってつけの場所が北海道のど真ん中にはある。つまり炭鉱の跡地を整備し国防装備品の貯蔵施設として利用すれば、北海道の防衛力をさらに強化することが出来るのではないだろうか。

因みに先日セレモニーが行われたノルマンディー上陸作戦のような戦闘は、この先日本で起こりえるのだろうか。私はその可能性はないとは言えないが、その可能性はかなり低いと思っている。何故なら、そのような作戦は割に合わないというのが私の思うところだ。この作戦については、史上最大の作戦という映画が有名だ、その後プライベートライアンという映画が作られ、私もこの映画を劇場で見たが観ていて吐き気を催すほど悲惨な映像だった。ところでこの戦闘のデータをウェキペディアで探してみた、それによると上陸作戦当初は16万人が一斉にドーバー海峡を渡り、最終的には132万人の連合軍がこの海峡を渡ったそうだ。

ところがこのデータを見て、私はある違和感を感じた。それは双方の被害の状況だ。これによると連合軍では1913人が亡くなり、ドイツでは9000人が尊い命を失った。これをサイパン、ペリリュー、フィリピン、硫黄島、沖縄の状況と比べると私の歴史認識は誤っていたこに気づかされる。というのも太平洋での戦争はアメリカの主力が戦った戦争ではなく、あたかもノルマンディーにおける余力で戦った戦闘であるかようなデマが何度も吹聴されてきたからだ。改めてこの数字をを見れば日本との戦争はどれほど壮絶な戦いだったかが分かる。

このように歴史のデータを確認するだけでも、実は日本と戦争を交えることはどれほどその国に損害をもたらすことになるのかが分かる。当然軍事を専門に研究している者からすれば、こんなことは常識の話しに違いない。だとすれば、こんなリスクを冒すより、もっと効率よい占領方法を検討するに違いないと思うからだ。

とはいえこのようなことは、全く根拠のない私の妄想なのかといえば、そう言い切ることが出来ないのが恐ろしいところだ。というのも現在北海道にあるニセコ町という町の宿泊施設では日本語が通じないそうなのだ。このような現象は、北海道だけに限らず日本全国にほろがっている。しかも近頃のニュースを見れば外国人が、日本において犯罪を犯したとしても簡単に逃亡することが出来て、そのうえたとえ現行犯逮捕されたとしても、日本の裁判で裁かれることはないそうだ。ところがこのようなことも、海を隔てたニューヨークなどでも起こっていることらしいのだ。

このような環境であれば漁船かパラシュート使って特殊部隊が密かに侵入し、先に侵入している工作員と連携して通信メディアをすべて制圧してしまえば、北海道全体を簡単に孤立させることが出来る。つまりたとえ北海道の市街地に軍事訓練を受けた盛況な自衛隊員がいたとしても命令が全く届かない状態に陥れば、統率の取れた訓練通りの行動はまず不可能になる。このように通信インフラの脆弱さは装備品以上の決定的な損害をもたらす。このような観点からもNTT法の廃止や海外製の半導体を多用することは絶対に避けねばならない事柄なのだが、こんなことは私の取り越し苦労であることを願うばかりだ。

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Posted by makotoazuma