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2024年 1月21日 消される記憶

SF映画では特殊な機械を使って簡単に記憶を消してしまう場面がある。メンインブラックという映画ではよく見かける場面だ。とはいえ何千万人の人が同時に体験した記憶を消すことは無理に違いないと思ってしまう、果たしてそれは絶対無理なことなのだろうか。

それでは記憶に結びつく言葉を徹底的に使えなくしたらどうなるだろうか。私はたったこれだけのことでも世の中の記憶は消えてしまうのではないかと思っている。ありえないことのように思うが、例えば3か月前の夕飯を思い出せる方はどれだけいるだろうか。そのことを思い返すという理由がなければ、或いは思い返す必要がなければ、途端に記憶は曖昧なものになってしまわないだろうか。

私がなぜこんなことを言い出したかといえば、昔名作だと思っていたアニメが近頃まったく見かけなくなってしまったからだ。確かに今はどんどん新しいアニメが登場してきているので、わざわざ埃を被ったようなものを持ち出さなくても事足りるのかもしれないが、私が子供の頃魂を揺さぶられたアニメは、現代の若い人達にもきっと楽しんでもらえるのではないかと思うからだ。例えば「みなしごハッチ」などはタイトルからしてアウトで、その他タイガーマスク、巨人の星、あしたのジョーなども場面設定や時流に合わないセリフが多いためTVでの放送はできないらしい。

確かに人の立場を貶める言葉は慎むべきとは思うが、ひやとい、めくら、あんまという言葉まで差別用語とされている。このことで起こるのは表現の萎縮ではないだろうか。確かに言葉には品格というものがあり、主人公の育ちの良さなどを表現するには大変便利なツールだろう、そんなところをオードリーヘップバーンの名作マイフェアレディという映画はよく表していた。ところが現代ではこのような表現方法を取ることは逆に制約が多すぎて難しいのではないだろうか。恐ろしいのは放送コードという決まりが表現を規制するだけではなく、そんな規制がない日常の中でも自主的に、このような規制が進むことだ。例えば喫煙の表現などは今でも嫌う人がいる、では実際どれほどの悪かと思いデータを調べてみると、タバコと癌にハッキリした相関関係を見つけることは難しい。むしろ喫煙者が減った現在の方が圧倒的にがん患者が増えている。にもかかわらず一度ついた悪評は覆ることがないのだ。

私はこのような社会的風潮がどれほど社会にたいし文化的な損失をもたらしているのかということを危惧している。お断りしておくが、これは言葉による暴力を肯定するものではない。そのような悪意をもって言葉を使う人の言葉は、いかなる立派な言葉を使っていたとしても、人を傷つけるからだ。とはいえ近頃の世情を見ればまるで被害者同士がつぶし合をして、けしかけたものがちゃっかり漁夫の利を得るという可笑しさだ。それにもまして残念なのは一度始まった潰し合いの風潮は、どんどん社会に蔓延し閉塞感を強め行く。もしこのまま、このようなことが続いていけば世間に対し新しい表現しようなどという人間は、全くいなくなってしまうだろう。そうなればあらゆる表現に間違いのないAIが担う世界になってしまうに違いない。

こんなことはSFの世界のように受け止められるかもしれないが、近頃の社会は全くのんびりしていられない。例えば年に一度の除夜の鐘さえも自粛させられているのだ。その理由は元旦に除夜の鐘が騒々しくて寝れないという訴えがあったのだそうだ。以前であれば、こんなことはと一蹴される事案も現実に騒音問題と判断されたということなのだ。とはいえこれが私の近所にある神社だけの話なのかと思っていたら、全国でもこのような事案が、あちこちで起こっているらしい。このままこのような事案に違和感を覚える人が声を上げなければ、これからあらゆる地域で何らかの共通の思いを共有しようなどという行為は排除されていくことになる。その結果どのような世界になるのかといえば地 域における共通の話題が無くなり、やがて地域の記憶自体も消えてしまうことになるだろう。ようするに私が食べた3か月前の夕食を覚えている人など誰もいないのと同じだ。その結果最後に残されるのは、どこにもよりどころを見いだせない孤独な魂だけになってしまうに違いない。

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Posted by makotoazuma