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日々これ切実

2025年7月18日ようこそ

2025年 5月24日 方丈にありて流れず

方丈記といえば行く川の流れは絶えずしてで始まる平安末期の随筆だ。この文章の面白いところは悠久の存在のように流れる川のありようも、その実態を探れば留まることの無い水の流れにすぎない。つまり我々が永遠の存在と認識しているすべての物質は、結局のところどこにも存在していない虚ろなものになってしまうのだ。

このことは文学の世界だけに留まらず、最近話題の科学の世界でも、物質の最小単位である素粒子を探れば、まるで所在の無い存在であることが確かめられているそうだ。というのも素粒子の存在は、結局のところ観測者の観察行為に委ねられてしまうというのだから、いよいよ現実というもののあてどなさを感じてしまう。

ところで、今日は私の青春時代ポップスの巨星のように思われていたビリージョエル氏が、現在深刻な脳疾患を患い大変な苦労をされているという、あの時代の人間には、まるで悠久の大河の如く感じていた偉大な存在が、現在身の回りの動作もままならない状態なのだという、まさしく無常の凄まじさを感じてしまうのだ。

とはいえ、この様な悲哀は不変の物質という、そもそもの妄想を信じ込むことから感じてしまうのではないだろうか。因みに鴨長明が記した方丈記は3m四方という最小限の生活空間から生まれたそうだ。しかも鴨長明はこの窮屈な空間をこよなく愛し、折り畳んでは一緒に旅したという。つまり鴨長明は、この窮屈な空間から覗く景色こそ、信じるに足る世界と認識していたようだ。

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Posted by makotoazuma