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2025年12月6日gallery,ようこそ,日々のブログ

2025年 10月11日 文民統制

突然昨晩、80年談話が発表されると聞き恐怖に襲われた。というのもこれまで談話といえば、戦争とは無縁の国民に一方的な被害者意識を植え付けるもので、今日までに及ぶそれによる被害を詳細に検証すればこのことは看過できないほどの被害を日本にもたれしている。具体的に言えばこれにより国民は、何時まで経っても終わらない永遠の負債を抱える事に成ってしまっていたのだ。因みにWW2 以前は国家間の賠償によりこのような遺恨が国民にまで及ばないように解決は感情論を持ち込まず事務的な交渉で済まされてきた。本来軍事というものが最終的外交と解釈されるのは、このような事務的な条約の締結でことの終息を図ってきたからだ。つまり賠償義務等の戦後処理を終えれば国家として罪は贖ったと解釈され、個人の責任には制限があった。

因みに、日本はサンフランシスコ条約に基づき戦禍に巻き込んでしまったアジア、太平洋の各国に対しこれまで誠実に賠償責任を果たしてきた。これにより1970年代の終わりには日本はこの賠償をほとんど終え、戦争という悲劇からようやく立ち直りはじめ、経済大国として平和な貢献を果たそうとしていた矢先、1995年における首相の談話により再び日本は、国として永遠に続く負債を負うようになってしまったのだ。というのもこの談話によると大東亜戦争は日本の植民地支配と侵略を行った結果だという認識になるからだ。これにより、マッカーサーによる見解も、東京裁判において日本を擁護する裁判官の弁護も無きものにされてしまった。これにより日本は植民地支配を推進する侵略国家という認識が国際的認識になってしまったことは慙愧に耐えない。

こんなことを書けば、あの戦争は一方的に日本の侵略行為だったと認識されている方には相いれない驚きとなるかもしれないが、日韓併合であっても日本が軍事侵攻によって植民地化したのではなく時の政権との約束ごとで決まったことを史実から理解すれば、日本は表面的ではあってもそれまでの帝国主義とは距離を置くことを規範としていた。何を言いたいのかといえば、あの戦争を詳細に検証すれば、日本は軍事的影響力を行使できる立場にあったとはいえ、満州や中国本土においても最後まで新政権との協調という立場を崩していなかった。そのモラルの高さは、かつて戦争で対峙したはずの清王朝最後の皇帝溥儀がどこで余生を送ったのかを見れば明らかである。つまり日本は西洋的な搾取の対象として他国を植民地にしたこともなければ、軍事力によって日本がその国を占領し支配したという事実もない、因みに南京を例に取れば、南京占領後は新政権樹立に協力し、彼らにその統治を任せていた。

要するに日本は不確かな解釈の無責任な談話により現在に至るまで日本人の心に云われなき傷を受けてしまったのである。またその後も根拠のないデマと発信者本人が認めた慰安婦問題も最近に至るまで両国の外交問題となり両国の心的分断は修復しがたいものになってしまっている。このように、確かな検証もされないまま歴史認識という言葉が独り歩きしてしまった為に日本は数えきれないほど国益を損ねてしまっているのだ。

さて昨日の談話によれば歴史認識については反省と教訓という言葉が使われていた。この談話でさらに興味深いのは今回文民統制による軍のコントロールを失ったことが大東亜戦争に繋がったと語られていることだ。一見新しい切り口のようだが、戦争は軍の暴走によるというこれまでの視点と変わりがなく、一体何をどうすれば文民統制によるコントロールは維持されるのかについては評論家の弁と変わらない。おそらく現在の日本国憲法を守れば、文民統制は果たされるとでも言いたげである。とはいえ仮にも政権を担当していた人間であれば今の憲法では国防上乗り越えられない壁があることに気付かないはずがない。何度も例に挙げるが海外からの邦人救出や、有事における統帥権の在り方、いわゆる緊急事態の責任の在り方についてなど、責任ある者として一刻も早く国民に訴えなければならないことは山ほどあるはずだ。これでは誰かの論文を棒読みしたまでのことで、政治家として何をどうしたいのかという内容が読み取れない。

もし談話の訴えの通り平和を望み本心から戦争を止めたいと思うのであれば、なぜこれまで停戦交渉を積極的に呼びかけているトランプ政権に寄り添い、和平交渉に日本は貢献してこなかったのか、これまで日本が世界平和に貢献できるチャンスは幾度もあったはずだ。残念だが、斉藤隆夫議員に見習い気骨のある所を拝見したかったが、結局今ある姿もマスコミに盛られた砂上の楼閣に見えてならない。