盾つく虫も好き好き
2025年 10月12日 令和維新
どこかの政党のようだが、これを成そうというのが何と自民党で、その流れを推進しているのが今回誕生したばかりの新総裁高市議員だ。とはいえ、一見一政党の党首が交代しただけのようだが、長年続いたこれまでの連立与党体制に連立解消という大きな変化をもたらした。というのも今回の連立解消によって自民党の左傾化に歯止めがかかるのではないかという期待が込められている。このことを私は明治以来の危機に対する維新ではないかと捉えている。
これによる日本経済の行末を考えてみると、実に明るい展開が予想できる。簡単に言えば日本の製造業の復活、新しい太平洋地域のマーケット開拓などこれまで遠慮がちにしか推進出来なかった経済活動が、強力な政府の主導により活発になるはずだ。私はこれによって日本経済はより力強く前進するものと思っている。その根拠はこれまでの政権が避難するポピュリズムという言葉にある。つまり景気の循環が末端の大衆にまで滞りなく浸透する政治が行われれば日本経済はこれまで以上に発展するに違いない。そのためには国土交通の利便性を国益という視点から官民一体で見直す必要がある。これまでのように国の基準で有無を言わさず民間企業を統制する手法は官民一体の姿とは言わないだろう。民間企業の発展あってこそ、国力は強化され、結果として国民生活に潤いを与える。これが国民ファーストの本来の考え方ではないだろうか。
このような視点で政策を実行できる政権が出来れば、今は些末な違いはあるにせよ、いずれその違いはより良い答えに向かって集約していくはずだ。
これまで、選挙といえばとかく組織票で結果が決まるイメージが強かった。ところが、最近の投票行動を見れば、これまでのマスメディアによる一斉プロパから個人の発信するソーシャルメディアの存在感が増している。或いは、これまで組織のしがらみで半ば強制的に動員されてきた街頭演説や講演会でも有権者自らの足で赴きその内容を受け止める本来の選挙活動の在り方が復活してきた。つまりこれまでは選挙応援と言っても、国の将来などよりは自分に対するメリットがどれほどあるのかが選挙応援の動機になっていた。その結果が招いた世の中は、国益などと言う曖昧な事柄より目の前にある甘い蜜に政治家の関心が向かうようになってしまった。
結局政治家は主権者であるはずの自国民の利益に目を向けるより、海外からくる甘い蜜がより恋しくなってしまった。何故なら面倒な国民の機嫌取りなどするより組織の票を当てにした方が遥かに効率が良く、落選などの憂き目にあうことも無くなるからだ。これにより政治家は支持率など鼻に掛けないようになり、国民が苦しむ様子を眺めながらいつまでも政権に居座ることが出来るという悪夢が続くようになってしまった。ようするにこのままでは、国民の意向など気に掛ける政治家は居なくなり、その結果国民はいくら努力しても豊かにならず、更に我慢を強いられる社会になってしまった。そればかりか、いよいよ国民は近頃自分の命さえ危ぶまれる状態になってしまったのだ。国民が政治に関心を向けなければ、このような事態になることを今更気付かされたと言う事なのだろう、昨今国民の投票行動の変化は、このことを物語っている。
これまで、日本はこのような国家的危機を迎えるたびに自分たちの叡智をもってこの危機を乗り越えてきた。しかも今回の危機は日本国内だけの問題ではなく、世界を巻き込む世界的危機なのだ。現在令和に生きる我々の選択によって、この日本の危機が回避されたと後進に伝えたい。我々は勇気をもってこの危機を乗り越えようではないか。