まだ見ぬ景色 2025年
1994年制作の遊びの理由Ⅱのリメイクです。もっと早くに投稿すべき作品でしたが、あまりにも厳重に仕舞い込んでいたため投稿が遅れました。さてこの絵何を描きたかったのか、未だ見ぬ世界への憧れやそこに至るまでの葛藤と孤独など文章に起こすとやはり月並みです。ところで私はこれまで述べてきた通り、作画にあたって下図を作りません。つまり真っ白なキャンバスにいきなり絵の具を乗せたり、木炭などの当たりさえ付けず制作は始まります。この描き方が良いのか悪いのか、絵の具や絵面のことを思えば下図ぐらいはマストのような気もします。
しかしながら、制作のモチベーションを維持するためには、これでなければという思いがあるのです。作日、日曜美術館というTV番組で黒田征太郎氏がとりあげられ、80歳を超える方にも関わらず旺盛な制作意欲に関心するというより呆れる思いで番組を視聴していました。そんな氏の制作風景を視ているとやはり微笑ましいほどの出たとこ勝負で、ここにこそ年齢による物理的制限を超えるモチベーションの秘密があるのではと思ってしまいました。とはいえ私のような何の経歴もない人間が、氏のように輝かしい経歴を持つ方と同列に語るのはおこがましいく思われるかもしれませんが、無意識に絵を書くというのはそのような捉われから外れることです。番組を視ていると氏は他人の絵でもお構いなしに描き込みを始め、まるで自他の境がありません。要するに絶対的無意識の前ではすべてが平等な地平にあるという認識なのでしょう。私もそうありたいというより、それ以外ないという認識で制作しております。「つまりENizmなのですが何か?」