思考ラボ
2023年 7/10 アートとは
私がこのようなことを言い出すのは、学問としてアートに取り組まれている方にとっては不快なことかもしれない。とはいえ私も何らかの創作活動を行っているつもりなので、自分は何を目指しているのかぐらいは、自分の中で整理しておきたいと思っている。
さて自分の思いを書き込む前に一般的なアートの捉え方を参考にしてみた。ウェキペディアによるとアートは間接的に社会に影響を与えることのできるものと書いてあった。また広辞苑では観賞的価値を生み出す行為や作品とある。つまり、作品または行為が何らかの価値を生み出しているというもののようだ。そして私がアートに思うことは「アートは感情の触媒だ」というものである、さて前者と後者の違いは何かそれは、絶対的価値という普遍的なイメージに対して、私は鑑賞者の感情を変化させる行為がアートそのものであると考えている。
こんなことを書きながら、だんだん天に向かって唾を吐いているような心地になってきたが、このことは過去のアート作品を否定するものではなく、これからアートの向かう可能性を探るとすれば、このような考え方も出来るのではないかということなのだ。これまでの人類の遺産ともいえるアート作品は様々な歴史を乗り越えながら現代の我々に感動を与え続けている。おそらくこの先もその価値が失われることはないだろう。
とはいえ、現代の我々がおかれている環境は、すでに物質としてのアートを超えた次元にあり、その環境で再びアートを捉え直さなければならない時に来ているのだ。具体的にデジタルの作品を評価する場合、そもそも作品は物質としての価値を有していない。つまり物質を実態とする価値観ではとらえきれないところまで、アートのおかれる環境は変化している。そのためにアートの価値は物質として固定されているのではなく、むしろ固定されない純粋な情報のみの価値を探らなければならないということだ。とここまで掘り下げると価値とはいったい何を意味するのかとなる。結果を言えばアートの価値が有るか、無いかは感情の変化が起こるかどうかで決まると言える。しかもその感情の変化は、理性をも超えたところに存在している。これまで人類は理性や崇高さに、アートのよりどころを求めてきたが、もともと日本人がアートに求めた感性は少し違っていた。
このことに目を向けると日本人の美意識は、思想や哲学などの合理的な崇高さではなく、むしろ理性の及ばない情緒というところにその本質を潜めているように感じる。そのことが表れているのは、身分を超えて愛される万葉集であったり、源氏物語や西行、芭蕉の表現する情緒あふれる世界なのだ。
私はそのような感情への浸透力こそアートを活性化させるための原動力ではないかと思っている。つまり「アートは感情の触媒だ!」という私の思い込みなのだが、とにかくなんだかよく分からないがすごい自信なのである。