日々これ切実
2025年 7月4日 口より先に
手が出ると言えば危険なおじさんを想像してしまうが、私は政治家こそこのような人であって欲しいと思う。というのも選挙ではいかにも興味をそそる話を喚き散らしても、当選と同時にまるで信楽焼の置物でもあるかのように急に静かになってしまう政治家が多い。それほど自信に満ちた政治が出来るなら、現在国民は何故生活にこれほど不満を抱えているのか不思議になる。
ところで今回大阪で立候補された世良公則さんは、これまでミュージシャンとしての輝かしい経歴を持つが、その一方で福島の震災では一早く被災地に寄り添う活動を行っていた。口の悪い人はこんなことすら売名行為に違いないと言い出すのかもしれないが、氏の活動を見ればそんな言いがかりが、哀れに思えるほど確りと住民に寄り添い、中でも輪島塗の作家に対し並々ならぬ思いから、その再生をサポートするという地味な活動を行ってきた。とはいえこのような活動は、伝統工芸に対する理解と情熱がなければ口先だけの取り繕いだけでは、とても真似できない。
しかも漆といえば日本の伝統工芸としてどれだけ重要なものかといえば、海外でジャパンといえば漆塗りを指すほどなのだ。さらに言えばその歴史は縄文時代にまで遡る。例えば、函館が所蔵する国宝中空土偶の顎髭は漆で彩色されていて、縄文時代にはすでにおなじみの技術だったのだろう。
とはいえ、この技術を維持していくためには、当然漆の木から育てなければならず、そのためには自然に寄り添い、安定した生活環境があってこそ成立することが出来る。ところが、今回の能登の震災は、これを支えてきたその地域そのものが、復興が危ぶまれるほどの大きなダメージを受けてしまった。
つまりこの仕事を維持していくためには、よほど広い見識を持たなければ出来るものではない。補助金さえ支給すればどうにかなるというものではないからだ。
さてここで、改めて政治に求められるのは何かを考えてみると、知識や経験だけでは十分とは言えない。それよりも私が思う政治家の資質とは理想に向かって行動する情熱ではないかと最近思っている。それが口に出すより先に行動できる人材こそこれからの政治を担ってほしいと思うのだ。