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思考ラボ

2024年11月17日gallery,ようこそ

2023年 8月3日 未来はどこにある?

この投稿でさんざんいろんなことを書いてきたが、いまだに納得できないことがあるそれが、未来は既に存在しているのかということだ。

このことは多くの宗教にある予言という言葉でもその重要性を知ることが出来る。ところが、私は無謀にも人生の目的は、肉体の新たな体験にあるだろうと定義してしまった。これは大いなる矛盾に違いない。

この問いに対し、パラレルワールドのような学説が用いられることもあった、つまり確率の数だけすでに現象は存在しているという考えだ。とはいえ私には、この考えを受け入れることは難しいと思っている。というのも、これでは世界がどれほどあってもきりがないのではないかと思うからだ。というのもその確率に付随して、無限に世界が誕生してしまうことになる。これでは特定の世界を認識することは不可能に思えるからだ。そこで考えられるのは現象は起こっていないがシュミレーションの道筋は辿ることが出来るという考え方だ。

では何がそのシュミレーションを行っているのかといえば意識がそのシュミレーションを行っていると考えている。つまり意識は計算の筋道に従って体験の予測を行うことが出来る。この計算が未来予知の正体ではないだろうか。

このような場合、意識はあるテーマに沿ってシュミレーションを行う、例えば災害や戦争などの可能性についてだ。この結果については、予言や予知夢などの現象として肉体を持った我々は受け取っているのではないだろうか。

また肉体を持った意識が、直接そのようなシュミレーションと繋がることもあり得る話だ。だとすれば、やはり肉体を持った我々の意識は、現象世界に対して選択という未来への責任を負っているとも考えられる。このように考えれば大いなる存在も、預言者のご託宣もあり得ない話と言い切ることは出来ない。大いなる存在とは肉体を離れてもなお、現象世界に対しての方向性を指し示す存在だからだ。

我々はその願いをどれほど敏感に受け取ることが出来るかによって、大いなる存在の指し示す世界に近づくことが出来る。そして未来の在りようは、肉体を持った我々の今の選択で決まるのだ。

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Posted by makotoazuma