思考ラボ
2023年9月10日 人生と性
以前人生とは自分を見つけることだと、どこかのお坊さんが話していた。つまりこの言葉は「人生そのものが問いだ」とも解釈できる。ではこのことが成立するための前提とは何か、それは人生はわからないということが前提になるのではないだろうか。
ところで漢字で性と書くと通常英語で言うジェンダーのことを指すと思うが、この漢字を分解してみると、りっしんべんが生きるという造りなっている。
このりっしんべんは心を意味する漢字なので、心が生きると書いて性を表すようなのだ。先ほど人が生きることは永遠の謎と定義していたが、この性という字が意味するところは、性は人生よりも、さらに捉えどころのないものを表現しているとは言えないだろうか。このように性の字が表現するものは、東洋においてジェンダーの意味する性差の表現というよりは、その境目はますます微妙でまるで心の機微とも受け取れる表現なのである。
ところで、人類史の中で人生を規定した法律は今までどこにも生まれていない。そもそも人生は謎でありそれを問うことが人生であるなら、ことさら法律によって定める必要がなかったからだろう。ところが現代においてある国では、それよりさらに不確かなもとされる性を法律に定めてしまうということが起こってしまった。このことはまるで哲学を法律化してしまうような愚行ではないだろうか、というのも哲学を法律という檻に閉じ込めてしまうことになれば、哲学はただちにその輝きを失ってしまうからだ。ジェンダーとは外見的な違いによらなければ、どのような仕切りが出来るというのだろうか、むしろ内心の理解など定義することなどできわしないと私は思っている。