思考ラボ
2023年 9月27日 仏を殺す?
大変物騒なタイトルだがこの言葉はインドから中国へ禅を伝えた達磨大師の教えを基にした臨済宗の宗祖臨済の、臨済語録にある立派な言葉だ。けっしてアウトローな世界の話しではない。
とはいえ宗教といえばユダヤ教、キリスト教、イスラム教信者が地球上で人口の6割を占めているが、唯一神を信仰する彼らは基本的にモーセの十戒を戒律の基にしている。なかでも「汝殺すなかれ」という言葉は最も戒められなければならない戒律だろう。
ところが日本に伝わった仏教の開祖臨済の言葉は、過激だったそれによると「仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺せ」とまあこの通りの解釈をしてしまえば自分以外みんな殺してしまうことになる。この言葉について臨済宗の公式ネットによれば、人間としての主体性を確立させよということになるらしい、つまりお釈迦様の説かれた「自分を島とし法をよりどころとせよ」という言葉に行着くのではないだろうか。
面白いのはこのような自分を主体とする世界が、現代の最先端科学である素粒子の世界では成り立ってしまうことだ。どういうことかといえば、観測者によって素粒子の観測結果はいかようにも変化してしまうのだ。現在この理論を応用した量子コンピュータが出来ているので、この考えはすでに摩訶不思議な世界のことでもなくなっている。
因みに私はこの物騒な言葉に、今という概念と色空の捉え方の本質が込められているように感じてる。つまり色空とは何かといえば、それは今現在の否定なのではないだろうか。ようするに時間やストーリーという概念は、今現在の否定なしに存在することは出来ないのだ。