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思考ラボ

2024年11月17日gallery,ようこそ

2024年 8月18日 イメージの不思議

私はなんとなくイメージというものが創造の源ではないかと思っている。とはいえそれがどのような存在かは想像すらつかない。要するに現象世界のものではあるが、時空間に存在するものではないと思っている。さらに言えばこのイメージを創造する存在は因果律も超越した存在でなければならない、つまりこれを卵と鶏ロジックに例えればイメージの世界ではこれらが同時に誕生しても矛盾とはならないからだ。とはいえ実際の現象世界では、すべての現象は因果律に縛られているために卵と鶏どちらかが先に存在していなければ存在を成立させることは出来ない。

そこでこのようなロジックを現象世界で成立させるためにはどのようなことが必要になるだろうか、前回このロジックに触れた時は、観測者の環境によると定義したが、一般的に言われていることは突然変異という個体の変容がこのロジックの回答になるようだ。とはいえ問題はこの変容を確率的な突然変異の個体が環境により淘汰されたというのが現在信じられている科学的理解だろう。ところが私の想像するところは、偶然の突然変異ではなく、環境に適合するイメージがすでにあって、このイメージに基づき生き物は誕生していると考えている。これを数撃ちゃ当たる確率論で説明するのはいささか乱暴な考えのように思う。なぜなら宇宙にも年齢があるとすれば確率論だけで宇宙全体の現象を説明しきるのは不可能だと思うからだ。そうでは無いとすれば現象には何かしらの方向性が必要になる。要するに生命は確率的に生まれたのか、生まれる方向性が決定されているのかという問題になる。私はこのことについて生まれる方向性は存在していると考えているのだ。

つまり現象世界は何かしらの存在がイメージした形態によって生まれていると考えた方がより理解しやすいだろうということだ。だとすればその存在はこの現象世界を終息に導くというのはありえない話だ。むしろより関係性を複雑化させながらも我々生命は現象世界に繁栄させていくだろう。そればかりか、その存在は人類が憧れてやまない美しさを常に我々に表現してみせている。というのも美しさに共感することは、これらの大いなる創造を認めることに他ならない。

私は美の創造とは、そのような絶対的な存在に実際に触れることだと考えている。このように考えれば我々の肉体もまた大いなる存在による表現の一つに違いない、たとえデッサンに様々な注文があるにしてもだ。

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Posted by makotoazuma