思考ラボ
2024年 9月22日 人間とは
羽のない二本足で歩く動物である。というプラトンの有名な定義だが、この可笑しさは誰でも理解できるのだが、改めてこれ以外の正解を述べよとなれば誰もが考え込んでしまう。とはいえ初めからこの譬えのように人間を外見的に捉えることは人間の僅かな部分の表現でしかなくその本質は内面にあると体験的に捕らわれているからだろう。それでは人間をもう少し具体的に定義するために、その能力によって定義することは出来ないだろうか。
例えば鳥は羽を広げて空を飛び回ることは出来るが、他の生き物に同じ能力を求めることは難しい。そこで思い当たるのが、身体能力というより知的能力について人間は他の生物と明らかな違いが見られるのではないだろうか、例えば人間が言葉を使いこなすことや、道具を使うことなども人間だけに備わった特徴なのではないのかと頭に浮かぶ。
ところが実際はクジラやイルカなどの哺乳類ばかりでなく、最近私が知ったところでは、植物同士が粘菌を介してコミュニケーションをとっていたり、あれほど小さな蟻でさえもスートーリーを理解できる印象を持っている。というのも蟻が外科手術を行っているというとんでもない動画を目にしたからだ。つまり蟻は仲間の蟻の患部を切除することによって仲間の延命が可能だというストーリーを理解しているからこそ蟻は、そのような行為に及ぶのである。そしてそのことは、同時にその蟻にとって仲間の延命が好ましいことであるという認識も持っているということだろう。しかも蟻には袖の下が無いことからこの行為は報酬を求めて行われる行為ではないはずだ。
さて、人間は自ずと備わった能力としても明確な定義が持てないのだとすれば、人間の定義をどこに求めたら良いうのだろうか。このように思うともはや3次元的理解で人間を定義することは不可能だろう。だとすれば3次元を超えたところに人間の本質を訪ねるしかない。私はそのような世界を概念の世界と捉えている。さてそれはどこに存在する世界なのか3次元を超越した多次元の世界だろうか、数学者はそのような世界を理解できるようなのだが、私は逆に次元を下げて2次元が概念を表現する世界と認識している。そしてこれを理解できたことが人間に備わった特異性のように思っている。
確かに人間は言葉を発して様々なコミュニケーションをとるが、それを文字や絵画を通した表現は、まるで時空を超越した世界に我々を誘ってくれるようだ。このことは世界中に存在する太古の洞窟壁画が、研究者によると祭祀に用いられた可能性が強いと言われていることによる。つまり我々人間は身体的特徴のみで表現できるものではなく、文字や絵画という別次元の表現を通して、神という根本的な存在に気づくことが出来たということではないだろうか。 By2次元パス
時節がらの一句 「まんじゅうに 兎の焼き印 名月や」