思考ラボ
人は何故、2次元に憧れるのか
いつもご覧いただき有難うございます。以前から投稿したいと思っていたのですが、何を投稿したいのか忘れていました。やっと、思い出したのですが、落ちを考えていません。とはいえ、落ちを考えている内に、また忘れてしまうかもしれません。その前に行っちゃいましょう。
実はこの投稿には切っ掛けがありまして、それは、2次元しか愛せないという若者に対しての、お悩み相談でした。それによると、2次元しか愛せない方というのは、現実の相手に対して、自分の愛情表現が、受け入れられないのではないか、または、拒否されるのではないか、という恐れから、2次元(アイドル)という対象しか愛せないのではないか、ならばその逃避を止めて現実と向き合うためには、少しづつ恋愛の経験値を上げていくことが、現実の恋愛に向き合うために必要なことではないか。というような内容だったと思います。確かに現実と向き合うことは重要なことです。そのことを否定する気は毛頭ありません。しかも公に取り上げられるほどの、権威のある方のお話であればおさらです。
と前置きをしてもなお、小生、2次元パスを主宰するものとして、さらにもう一歩踏み込んだ2次元愛を考えています。それは、何故我々は、2次元に捕らわれるのか、そこには何か必然性があるのではないか。そもそも、ここで語られている2次元とは、漫画やアニメのキャラクターに限定した恋愛対象の話だと私は、思っているのですが、もしそうだとしても、現実にあるものを、象徴的に捉えようとする行為は、もともと人間に備わっている本能ではないのかとの思いがあるからです。つまり、3次元の土偶や2次元の障壁画など、対象を、象徴的に捉えて再現することは、人類の本質的な心に対し畏敬の念を想起させる対象へと昇華させる効果があるのではないかということです。
つまり対象をその象徴に置き換えて理解する行為は、我々の本能であり、そのことは、文明が起こる以前から人類が獲得していた能力ではないかというものです。そう考えると2次元を愛する衝動というのは、有史以前から存在し、しかも、今日のような通信手段のない時代にあっても、時間や場所を超えて沸き起こってくる普遍的な欲求ではないか、だからこそ、過去の営みを現在に伝える障壁画、洞口壁画には、現在の我々に根源的な何かと繋がる力を呼び覚ます引き金になるのではないかと考えています。
また、絵具の無い時代、でこぼこした洞窟の壁面に、2次元の象徴を表現していくということは、相当な労力を覚悟しなければ出来ない行為です。まして遊びや、暇つぶしのような浮ついた気持ちでは決して成し得ません。2次元で象徴を表現することは、それ程の労力と思いを込めてやっとのこと達成できるこういです。それほどに伝えたい思いがあり、それは、2次元だからこそ表現可能だったのではないでしょうか。そして現代の私たちも、遺伝子の中に文字では記録されていない記憶を持っている。つまりその記憶は、現実を2次元に捉え直すことで沸き起こる必要性を我々に伝えているのではないでしょうか。つづく・・・・