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思考ラボ

2024年9月15日gallery,ようこそ

 

どうしても2次元の続き

 

 

 いつもご覧いただき有難うございます。前回の投稿の続きです。前回までの投稿では、2次元しか愛せないことへの回答について、現実に歩み寄る工夫をしてくださいね。という回答に対し、私は、2次元愛というのは有史以前から存在する人間の根源的な衝動であるという立場をとりました。

 

 今日は、何故、特別2次元に囚われるのかについて、もうちょっと踏み込んでみたいと思います。つまり、立体ではなく、あえて平面なのかです。前回もレオナルドダビンチやミケランジェロについて触れましたが、ミケランジェロに至っては、両次元を操る天才です。たとえば、彼の代表作について彫刻の最高傑作、ピエタ、或いはダビデ象などです。また、2次元においてはバチカンの最後の審判ではないでしょうか、そう、失楽園や天地創造など、今あなたに沸き起こっているイメージは、ミケランジェロの作品ではないですか。もしある人が、その絵を一度でも目にしたら、聖書の世界は、即座に、その絵のイメージに置き換わってしまいます。其れこそが2次元の本当の恐ろしさです。

 

 その絵を目にすることで、聖書で起こったその瞬間の光や影、登場人物の表情やポーズによって、登場人物の感情の変化など、具体的なイメージを我々に伝えてきます。そしてここが天才のなせる業なんですが、そのイメージは、いつまでも人の心に残って、それがあたかも現実に起こったことであるかように、聖書の世界を我々に伝えてきます。当時、ミケランジェロにとっては、あまり乗り気の仕事ではなかったようですが、人類にとっては、かけがえのない遺産となりました。

 

 我々にとって平面や偶像に理想を投影させることは、決して特別な行為ではなく、すでに我々に備わっている文化本質的な行為ではないでしょうか。で終わりにしたかったんですが、これに関して実は、もう少しお話したいことがありました。その話は次回にさせていただきたいと思います。ではまた。

 

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Posted by makotoazuma