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思考ラボ

2024年11月17日gallery,ようこそ

 

何故シュルレアリズムが求められたのか

 

 

 いつもご覧いただき有難うございます。シュールな絵ってとても好き嫌いが分かれるんですね。それは何故でしょうか、そして何故シュルレアリズムが求められるのか、についてのお話です。今この投稿をご覧の方は、そうとうな忍耐力と知識をお持ちの方と思いますので、シュルレアリズムの定義や背景については触れずに進みます。もし私が間違った認識を持っていた場合の保険のため、平たく言うと間違いの責任から逃げているんですが、ご理解頂いているものと思っておりますのでよろしくお願いします。

 

 早速ですが、人間は、理解の出来ないものには、恐れを抱きます。普通は、避けたり、忌み嫌う物なんですが、好奇心は、それをも乗り越えてしまいます。私はこの好奇心の強い弱いが、好き嫌いの分かれるところではと思っています。では、シュルレアリズムが何故求めらるのかについてなんですが、それは精神の解放ではないかと思います。何からの解放かといえば、固定観念からの解放です。また、その到達点を無意識と考えているのだと思います。

 

 私の考える無意識については、すでに投稿している通りなんですが、こちらも凄まじく奥の深い世界ですので、これ以上のことには触れません。

 

 ではなぜ、精神の解放のために超現実が必要だったのか、それにはやはり時代の欲求というものがあったのだと思います。科学という、ものの見方は、その本質から固定観念を生みます。そして精神医学の発達に伴い精神についても学術的解釈が試みられ、様々な仮説を模索していたところでした。そんな状況で精神については在る大きな発見が、世界に変革をもたらそうとしていました。

 

 それが無意識についての考えなんですが、何が画期的かといえば、肉体の殻を飛び越えたところに集合意識というものがあり、我々は、その無意識と繋がることが出来る。つまり現代のインターネットサーバーのような考えですね。となると一つの宗教で括られていた精神は、別な価値観ともつながって意識を形作ることが出来るわけです。

 

 つまり、国と宗教が結びついていた時代では、国民は、同じ価値観で繋がることが出来たんですが、国の意志とは別の価値観と繋がることは、そのような、ナショナリズムの繋がりを希薄なものに変えてしまいます。

 

 もしそのような考え方が国の中で蔓延していったとしたらどうでしょうか、当時、自国の利益を守るためには、戦争やむなしの時代にあってのお話です。

 

 こうなると、ナショナリズムを必要とする世界とは、真っ向から対立することになり、そのような時代にあってのシュルレアリストは、ひどい弾圧を受けました。この時代のシュルレアリストは、命懸けで世間から嫌われていたということです。今では考えられないほど、表現のためには覚悟が言ったということなのでしょう。

 

 つまり超現実主義を標榜する作家は、ひたすら現実や固定観念の否定のため、訳の分からない絵こそ、わが本望と思って創作するわけです。なので、超現実の絵面について解説するのは、ナンセンスなのですが、やらずにいられないのが学術の世界だと思います。また、精神の解放については、さらに、2次元愛の続きもからめエロス、タナトスについても触れてまいりたいと思いますので、おたのしみに。ではまた。

 

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Posted by makotoazuma