思考ラボ
メメントモリ・死を思え
近代の世紀末、絵画の世界にも頻繁に登場してくる言葉です。丁度ペストなどの伝染病が、世界を襲っていたことも関係して、普段の生活の中でも、死と向き合わなければならない状況に至っていた。ということなのでしょうか。
現在の環境と似たところがあるのではないかと思います。で、思うのはいいのですが、いったいどうすればよいのでしょうか。当時の環境を考えると、しっかりとした信仰に立ち返ること、以上なんですが。現在、しっかりとした信仰心に立ち返ることが出来る人は、幸せな人なのかもしれません。
歴史では、そのような時代を暗黒時代と習った記憶があるんですが、確か、美術史だけに限らない話のような、またまた、クリスマスの翌日から危うい話になりそうなので、この辺にします。
ところで、私が、現在、認識している死なんですが、それは、自己認識の崩壊です。いきなり、恐ろしいことを言うようですが、私が言おうが言うまいが秩序は無秩序に向かうということのようです。それは何億光年離れた環境にいようと何億年過ぎた世界であろうと変わらないようです。なので、そのように受け入れればいいだけなんですが恐怖というものが、受け入れることを遠ざけます。
逆に言えば命は、何十億年この恐怖というものに、維持されてきた。ということなのかもしれません。だから、この恐怖に打ち勝つというのは、在り得ないことと思った方が良いのではないでしょうか、つまり、恐れを受け入れる、簡単に言えば、怖いものは怖いんです。はい、きっちり記事を読む前と同じところに戻りました。
ではなく、私たちは、あらかじめ恐怖を体験することによって恐怖心を和らげるということが出来ます。例えば、体験談や映画、ドラマでの追体験がそれです。
残念ながら死んだ人は蘇らないというのが定説なので、奇跡の話は、挟まないようにします。というのが今までの考えだったんですが、最近、瞑想というものを知り気づくことがありました。
瞑想といっても、正式に指導を受けたわけでもなくユーチューブ動画で真似をしているだけなんですが、どのようにするかといえば、目を閉じながら30分ほどただ座っているだけです、何をしているかといえば、何もしませんただ、思考を止めて、周りで起きていることを、在るがまま感じているだけです。
当然何の結果も得られません。で気づいたんですが、これが、死ではないかと、自分が在るか、無いかは、脇において、今起こっていることに集中することそれだけです。こんなことをしていると目の前で起こることは、鳥が鳴いたり風が吹いたり、屁を垂れたり変化していきますが。受け取る自分は、何もない自分のままです。
決して大きくなったり小さくなったりすることも無ければ、どこで瞑想しても変わることがないんです。私には、まだ実感は無いのですが、話を広げると生まれたことも、死ぬこともない世界に触れているような気がします。だから、安心して、妄想の世界を楽しみましょう。あなたの描いたドラマを、それは、悲劇ですか、喜劇ですか、ロマンスですか。もちろん主役は、名優あなたです。