思考ラボ
戦争は無くせるのか?
「戦争は無くすことが出来ます」誰が言ったのかって、私が言いました。東誠が言ったんです。と言うと絶望的になるか、馬鹿にするなと怒られるかもしれません。
今も人類の叡智がこの問題に取組んでも解決されないことなのに、どこぞのおっさんがいったい何を言い出すのかと言われそうです。とはいえこの文章を読まれているあなたも、かなり特殊な環境に置かれている方だと思いますので、同胞という意識をもってこのまま続けます。
まずは、何故私が「戦争は無くすことが出来ます」と言い切ることが出来るのか、それは日本の過去にそのような時代があったという事実から、人類は戦争をなくすことが出来ると言っています。つまり日本の歴史である縄文時代の遺跡からは、そのような争いの形跡が見られないということを根拠にしています。簡単に言ってしまえば縄文人の文化に倣えばその可能性は見えて来るというものです。
さて、その縄文人の文化とは何でしょうか、現代人との最も大きな違いは「私有」という概念が無いことです。こう書くと共産主義者かと思われますが、マルクス主義のことではありません。縄文文化は1万3千年以上平和で武器も持たず虐殺も起こらず、海を自由に行きかい、自然に感謝をささげて生活をしていました。また、装飾品や土器に施されたデザインの豊かな創造性から溌溂として自由な暮らしが偲ばれます。私にとって縄文こそ文明の理想ではないかと思うほどです。
このような書き方をすると現代文明が戦争の原因なのかと思われるかもしれませんが、そうではありません。私は現代文明の発展と共に当たり前のように刷り込まれてきた私有と言う概念にこそ争いの原因があると考えています。それは先ほど否定したマルクス主義とも関連してくるのですが、唯物論的な富の分配という概念にも私有化という概念が、すでに入り込んでいます。私有化を否定するということは、例え公平な分配が行われたとしても、分配されたものが自分のものだと思う限り私有化の世界から脱したことには成りません。
ようするに私有化の否定というのは、法律や強制で成り立つものでは無いんです。誰のものでもないという意識の革命こそ、人類が求める本当の革命になります。それは土地であり自分の肉体でさえ自分という私有の意識から解き放つことです。
とはいえこんなことが明日すぐに現実化するわけでもなく、当面は日本が自由でその尊厳を維持できるように日本人が協力し合うこと、合わせて意識の革命に希望をつなぐことだと思います。