思考ラボ
発達障害という障害
最近よく聞かれる言葉に発達障害という言葉がある。昔は「変わった人」という括りで障害という言葉はあまり使われていなかったと思う。
今では医師による診断がされるらしい、きっと私もこの障害にぴったり当てはまっているのではないかと思うのだが、私の歳では世間からこれ以上の発達を期待されることもないと思うので、受診はしていない。
とはいえ私が、小さいころから世間にたいしてい抱く違和感もいまだに消えることがない。そのことを強く感じるのがスポーツや博打に対する関心の無さだ。私は表面的に関心を装うことは有っても、それは場の空気を気遣ってのことで、ことの勝ち負けについては心底関心が無い。それより私は選手の心の動きに関心が向いていることが多い。オリンピックなどの放送で心を動かされるのは、こんな時だ。
話がそれてしまったが、私は人はだれもが世間との溝を感じるものだと思っている。それが自我を自覚することだと思っているからだ。問題は本人が世間に足並みを合わせようと思うか思わないかではないだろうか。私は世間に足並みを合わせる必要はないと考えている人間だが、世の中にはこの障害に悩む方が増えているらしい。特に親が子供の心配をするケースが多いのかもしれない。
小学校に通う子供が授業に足並みを揃えることが出来なければ、恐らく親は相当な不安を持つのではないかと思えるからだ。残念ながら現在の義務教育の中だけで子供の発達を考えるのはかなり難しいことだと思う。それは個性によって理解の仕方や記憶の仕方にまったく違いがあるからだ、なので義務教育の場で個人の資質や才能は見つけることは出来ないと思ったほうが良い。
それよりは自分の思いがあれば、未来がいくらでも変わってしまうことに注目させた方が子供にとってどれほどの希望になることか。
量子物理学の世界では、観測者の思いによって、過去の事象も変更されるようだ。
最近では、私のような変わった人を宇宙人と表現するうらしい。なるほどぴったり私に当てはまると言葉の定義を読んで思った、なんでも宇宙人はある使命をもってこの地球に転生してきているらしいのだ。これは何というポジティブな考え方だろう、私はこの言葉がすっかり気に入ってしまった。
つまり私がこのブログを書いているのもたんなる気まぐれではなく、宇宙からの崇高な使命よるものなのだ。
ところでブログ読者のかたで私が何星人なのか気づかれた方、是非私が何星人か教えてほしい。