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思考ラボ

2024年11月17日gallery,ようこそ

今こそすべて! 

あらためていったい今とは何だろう、いったい何処に在るものなのだろうか。私は今とは、「だったらいいね」と「だったとさ」の間にあるものと思っている。つまり未来と過去の間なのだが、このように文章にしてみるとやはり今を表す適当な言葉が思い浮かばない。それもそのはず今というものには広がりがないのだ。この文章を入力している私も、この文章を読まれる方も存在しているという確かな認識があるにもかかわらず、その事実を表現するためには過去と未来という認識を前提に表現しなければならない。

つまり、今を表現するためには「だったとさ」あるいは「だったらいいな、だったらやだな」の表現を借りなければ今を表現するという行為は成り立たない。適当なたとえかどうかわからないが、サンドイッチの具を表現するためには、パンの存在も表現しなければサンドイッチの具を表現することができないようなものである。

あえて、その不可能に挑戦するとすれば、時間という概念を「流れ、循環、」という変化する言葉の概念によって表現することで可能になってくるのではないだろうか。私は「過去 現在 未来」というように、一見分裂した概念をつなぐ表現が神という存在ではないかと思っている。神とは我々の認識を不動の真実と、変化し移ろいゆく現象世界をつなぐ存在ではないかと考えている。

ところで先日、このような世界に目を向けるための良い切っ掛けとなる書籍に出会った。阿部敏郎著「真かんながら」という本だ。阿部氏については私がとても厳しい環境にあったときに、「いまここ」というブログでとても励まされた。「いまここ」という今に注目することを教わったのも、あのブログでのことだ。現在は「かんながら」というブログを主催されている。

さて、このブログでこの記事を書いているのは、あの時の感謝のつもりだけではない、興味のある方は是非書籍をご購読いただきたいのだが、注目してほしいことに書籍の中で取り上げられるキャラクターが、このブログに登場する絵のモチーフと非常に重なってくるところだ。これはやろうと思ってできることではない、わたしはこのことを「かんながら」の世界と感じている。つまり奇跡は読者の目の前で現在進行形で起こり続けているということなのだ。

何を言いたいかといえば、あの小説の世界はまだ完結していない、あの小説を読まれた人の中で、またあらたなかんながらの世界が始まっているからだ。

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Posted by makotoazuma