思考ラボ
時間はなぜ一方向に流れるのか
昨日【エントロピー】時間の矢は人間がつくり出している!?というタイトルの動画を見た。制作したのは、のもと物理愛というチャンネルだ。もちろん私が物理愛に目覚めたわけではない、残念ながら、私は物理愛というより、いまだに数式を見るだけで卑屈な闘志が湧いてくる人間なのだ。
では何故このような動画を視聴したかといえば、単純にこのタイトルに引かれてしまったのだ。時間といえば私もさんざん記事にしてきたテーマなので、私の認識に問題があればいつでも修正したいという思いを持っている。
ところで動画では物理学的に時空間というものをとらえると。時空間とは物体の座標が移動する変化を時間軸で表現したものだそうだ。問題は物理学の数式による時間は、過去現在未来の座標の上を自由に移動できるはずなのだが、現実にはそのようなことは起こらないのは何故かという問いだ。動画では過去は2度と再現できないからだそうだ。そのことを動画では熱力学の観点から図解入りで説明している。物体が移動して別の物体に衝突すると、その物体が持っていたエネルギーは、熱エネルギーに変換されて消えてしまう。そのことから過去を再現することは難しいのではないかという考察だ。
さらに、そのことを熱力学の第二法則であるエントロピーの法則に当てはめてみると、複数の物質が移動しはじめると、物質は時間経過とともに規則性を失ってしまう。つまりカオスの状態が増えるということになる。ここで、興味深かったのは何らかの規則性が物質の移動に際し働けばその物質は以前の状態にいずれ収まってくるとも言っていた。さて動画の投稿者である、のもと氏によると熱力学の第二法則、エントロピーの法則では、カオスの向かう方向は必ず増大に向かうのだそうだ。そしてその方向性を決定づけているのが人間の持つ認識の限界ともいわれている。私はこの結論を聞いて正直胸を撫でおろしている。
この動画では時間の不可逆性を熱力学を通して紹介されているが、私はこのことを仏教でいうところの因果律と捉えている。因果律とはすべての現象には原因があり、その原因をもとに結果が生まれるという教えだ。つまり一つの分子が衝突すればその影響は隣の分子の動きの原因になる。現象の世界はすべて因果律の動きの中で認識されるものなのだ。
では何が認識を持つのかといえば、それは人間というものに違いない。ところで、このブログでは根源的な存在を集合意識、あるいは無意識ととらえている。さらに無意識が意識を持つことを人間や個性の誕生と考えているのだ。つまり人間は無意識が変容した探査機のようなもので、探査機はそれぞれの特異な個性を持つことによって、より多くのデータ収集を可能にしているのではないかと思っているのだ。
このように考えると、無意識はデータ蓄積の拡大を唯一の意志としているのではないだろうか、つまりエントロピーの向かう矢印とは無意識が拡大を続けようとする意志そのものなのではないかと考えている。