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思考ラボ

2024年9月15日gallery,ようこそ

神道は宗教なのか

なぜこのような疑問を持ったかといえば、いわゆる法律的な解釈の宗教観では、神道の世界は収まりきらないのではないかという思いがあるからだ。以前紹介した天河神社柿坂大宮司の仰る「神道とはありのままの世界だ」という言葉が頭に浮かぶ。

例えば、よく神社で唱えられる大祓祝詞の中にも何をどのようにしなさい、ということは書かれていないのだ。あるのは世界がこのように伝わってきたということだけだ。つまりことの流れの中に尊さがあることを我々に伝えている。

平たく言えば、現象世界はあらゆる事象が関わりあって流れているが、このことの尊さを我々に対し、人の声を通して伝えているのだ。つまり八百万の神とはすべての命が神であると言っている。貴方の命も私の命もすべては神の表現であり、この命のつながりそのものが尊ぶべき存在だとされているのだ。結局神道においては条件による選別はなく、起ることすべては、かんながらの尊い表現とされる。

我々は目の前におこる現象に対し、ありのまま受け入れて、ただ感謝をささげるしかない。このことは日本人がいつもお互いに頭を下げあう不思議な挨拶にも表れている。これはお互いの命の尊さを認め合う行為なのだ。

ではこの様な神道を法律的な宗教の括りに当てはめようとすると、とても不思議なことが起こる。いったい誰が教祖で、だれが信者なのか、そしてその教義では何をどうせよと言っているのか。このような宗教ではどんな力で神道を押さえつけようとしても、はたまた、たとえ文献を焼いたとしても日本人の心の中から神道を消し去ることはできない。

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Posted by makotoazuma