思考ラボ
光と重力
前回のながれで、世界は認識というアルゴリズムから展開されているのではないだろうかという勝手な想像をもう少し膨らませてみた。認識とは現象を受け止めることなのだが、現象の中で存在する物質に対しては認識があってこそ存在しうるものと考えている。
ではこのような見方は、これまでの物理学的発見や法則の世界とどのように関わって来るのだろうか、私は同じ現象を視点を変えて理解することなので、そこに相いれないものがないことを望んでいる。それは肉眼で確認するか鏡で確認するかの違いのようなものではないだろうか。
私たちが現象世界として暮らしている世界は、アインシュタインのいう光が絶対スピードを持つ世界だ。このスピードは、不思議なことに電子の伝わるスピードとも一致する。私はここに物質の存在できる限界があるのではないかと思っている。つまり光のスピードこそ物質が存在できる限界点でその先がブラックホールだ。
このことはブラックホールでは時空に関する法則が成り立たなくなることからもいえるのではないだろうか。
ブラックホールの謎といえば体積は無限小になり質量が無限大になる世界といわれる。では質量とは何だろうか、質量とは加速度と同じ値を示すこともあり、加速度は観測点からの運動量の増加のことではないだろうか、つまり絶対スピードがどのくらいあるのかではない。私たちが速さを感じるのは、目の前の物質がどれだけ移動したかで、地球の公転スピードまでいれて観測することはない。このように加速とは相対速度と異なる特殊な環境で起こるものだ。
つまり極論すれば質量も絶対的なものではなく観測によって引き起こされるものではないだろうか。
では重力とはどのような作用で起こるものだろうか、アインシュタインは重力を空間のゆがみで表現した。では認識という観点から重力を表現するとどうなるだろうか、私は観測点を中心とした螺旋運動が重力ではないかと思っている。つまり重力はこのような運動の起きるところに発生するのではないだろうか。そのため観測点を核とする認識により銀河や銀河団まで無限大にその作用は大きくなる、また無限小の世界もしかりだ。このような螺旋運動の影響は電磁気力の発生する磁界の動きともつながっている。結論としては宇宙の動きは光と螺旋運動で表現される。興味深いことに古代の神は螺旋を表現する蛇と光を象徴する太陽神のいずれかで表現されているのだ。