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思考ラボ

2024年11月17日gallery,ようこそ

運命は変えられる?

これは誰しもが持つ問いではないだろうか?そしてそれぞれの自分が納得できる回答を持っているはずだ。そこには「これでいい」という回答もあれば「これではいけない」という回答もある。

この問いにはさらに、もう一つの問いが隠されている、それは運命は変えられるのかという問いだ。

ところで、この問いに触れる前に運命と宿命という言葉があるので、その違いも明確にするべきだと思う。ただし言葉で理解することには、言葉の曖昧さや言葉には限界があることを踏まえての話だ。では我々の認識する運命とは何かと問えば、それは予め決められた人生が、宇宙のどこかにすでに存在しているという認識ではないだろうか。そして、宿命とは我々の選択を許さない運命のことを指しているのではないか。

また、運命を理解するためには必ず必要になる認識がある、それが時間という認識だ。つまり運命という概念は、時間という認識のないところには生まれない概念なのだ。さらにはこの世に存在する物質も、前回述べた運動の認識が光によって確認される認識なのかもしれない。

ではこの現象世界はなぜ存在する必要があるのかといえば新たな運動を認識し情報として記録するためではないだろうか。このことによってこそ宇宙の意志である情報量の増大が起こっているのだ。ということはつまり運動の認識が起こるまでは、宇宙には何ものも存在していないことになる。そうであるなら未来は我々の観測しようとする意志に他ならない、つまり運命的な未来は我々の意志が観測を始めるまでなにも存在していないことになる。

では運命や宿命という概念は何故存在するのだろうか、結果とは観測点までの複雑な因果律の再現に他ならない。ちなみに因果律は単純に原因と結果だけで語られるものではなく、縁という横方向の繋がりも作用してくる。このように現世の因果律は再生不可能に思える事象の重なりなのだ、つまりこのような観点から結果には選択の余地がないといえる。

そこでこの問いに対し私が導いた答えは運命は変えられる。むしろ運命的な未来は我々が存在して観測することで初めて創られるということだ。そしてその結果についての評価はすべて観測者に委ねられている。ちなみに、あれこれ不満を抱える現在の自分とは何か、極論すれば現象界に新たに生れた観測点ではないだろうか、その特異な環境から観測された情報が、豊かな宇宙を創りだしているのだ、悲しいことにその宇宙の豊かさには人間の悲しみもたっぷり含まれている。

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Posted by makotoazuma