思考ラボ
まごころは何処にある?
年配の方は年の暮れになると、この言葉をよく聞いていた。昔はお歳暮という風習があって年末に近づくとお世話になった親戚や取引先、上司や友人同士でも何かしらの贈り物をしていた。そのためTVコマーシャルではハムや海苔の詰め合わせのCMであっても、必ず「真心こめてお届けします」と言っていた気がする。
では真心とは何だろう、そこには2つの思いがある一つには、して頂いたことに対する感謝と次もまたよろしくねという思いだ。ところが現在はこの「宜しくね」があまりよくとられないことがある、下手をすると便宜を強要しているなどと言われかねない、物騒な時代だ、おかげでこのようなテレビCMはあまり見かけなくなった。
結局時代によって風習というのは変化していく。当然のことと思うのだが、とはいえこのような時代であっても失ってほしくないものがあるのだ。それが物づくりに込める日本の心だ。今でも海外から日本製品への熱い思いを語られることがある。日本人が手作りした製品には特別の思いを感じるそうなのだ。私はそれこそが日本人の真心ではないかと思っている。
例えば日本人は新製品を作りながら、その製品が壊れた時のことを考慮に入れて製作をしていく。特に日本画やそれにまつわる表具などは表面が傷んで、いずれ張り替えることを想定しながら、裏打ちという絵に補強をしたり、糊の素材を使い分ける。
つまり製作は現在から何百年先の未来の様子までを想定して進められるのだ。このことはその場での満足だけに止まらず何百年先の人のことにまで思いはつながっているのだ。さらに言えば式年遷宮という神社の祭り方は20年ごとに神社を建て替えることによって、建築技術の伝承と木材の確保を1300年以上に亘って継承するものだ。
最近美術品を人質にして環境保護を訴える集団がいるようだが、どちらも人類にとって掛替えのない大切なもののはずだ、だとすれば我々日本人はどちらが優位かなどの選択はしない。自然のものだろうが人間が作ったものだろうが、尊いものは尊い当然そこに共存の道を考えるからだ。そう思うからこそ日本人は精一杯の真心を込めて物作りに励むのだ。