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思考ラボ

2024年9月15日gallery,ようこそ

2023年 AIの生み出すアート

以前アメリカでAIが描いた絵画作品が受賞して話題となった、今回はドイツで写真を使った作品が受賞してしまったために、投稿者が受賞を辞退したという話題だ。

私は絵画作品の時にも述べたが、現代のアートの流れからいえば作品の価値は鑑賞者が生み出すものとおもっている。つまり作品がどのような経緯で制作されようが、その作品を鑑賞者がどうとらえるかということに作品の価値は委ねられているということなのだ。

ではその場合の制作者の価値はどうなるのだろうか、AIが作品を制作できるのならアーティストの存在意義はなくなった、ということなのだろうか、もちろんAIが作品を制作したのだから、制作時における苦闘や葛藤はなくなるので、とても作品を自分が制作したとは言い難いだろう。とはいえ作品をAIが公募展に直接応募したのではない限り、作品は応募者の評価を経て出品されたことになる。

つまり、応募者がAI作品の最初の鑑賞者であり評価者なで、この評価をもとに作品が応募されたことになるのだ。となれば応募者はこの時点で作品を創造したといえるのではないだろうか。

そもそもAIについては、自立した人工の知能といえるのかどうかという問題がある。たとえば言語の理解についても、単に検索能力が高度化しただけなのではないかという説もある。結局AIが自らの感情によって作品を表現したいという衝動を持ったわけではない、おそらくは過去のデータをもとにして作品に望まれる最大公約数を表しているに過ぎないとおもえる。このような作品はいずれ類型化して飽きが来るだろうということは、すでに美術史においてマニエリスムという手法第一主義がたどった末路からも言えるのではないだろうか。決して技術を軽々しく見るつもりはないが、制作のモチベーションがそれだけでは、アートに寄せる人類の可能性は狭められ衰退の道をたどるのだと思われる。

このテーマについては以前にも記事にしていたが、改めて今思うことは、我々がアートに求めるものとは、人間が自分の思いを共有したいという切なる願いではないだろうか。そのような思いがあればこそ、人はアート作品の中に自己を見出すのではないだろうか。そうだとすれば、人間以外この世にアートを理解できるものはいないだろうし、その創造を試みる者もいないだろう。

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Posted by makotoazuma