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2024年9月15日gallery,ようこそ

2023年 5/11 もののあわれと抜刀隊

抜刀隊とは陸上自衛隊で使われる行進曲だが、一般の人には学徒出陣の行進曲といった方が馴染み深いかもしれない。学徒出陣といえば太平洋戦争の悲しい出来事の一つだ。1943年日本の状況は兵員の不足からそれまで兵役を免除されていた学生まで徴兵しなければならない状況になっていた。この時の明治神宮外苑での壮行式が学徒出陣の映像となっている。

ところで、このような映像を喜ばしいここととらえる人は誰もいないだろう、この映像を見る誰もが志半ばで戦地に赴くことになった学生の身の上を嘆くに違いない、だから戦争は二度と起こしてはならないのだと。

ところでこの映像からちょうど80年たった現在は戦争のない平和な世の中になったといえるだろうか、確かに今のところ日本で戦闘行為は起こっていないように見える、がしかし私は平和が消えさるカウントダウンが始まったと感じている。というのも他国における戦争の状況や頻発する空襲警報にそう思わざるを得ないのだ。ところが日本は、このことにどう対応すべきかということさえ意見がまとまっていない状態なのである。そのため軍事に対する前向きな討論さえできていない。防衛予算と言っても本当に現場の意見を反映したものか怪しくなるほどだ。せめて前向きな議論を進めるためにも、軍事に対し公平な理解をすべての国民が持つ必要があるのではないだろうか。

軍事とは何か

軍事とは国際法に認められた最終的な紛争解決の方法である。これが人類が作り出した方便であることに違いはないが、これらの法によって人類は無差別な暴力による非道の横行や暴力による人類の絶滅を防いできたのではないだろうか。ではなぜ話し合いでの解決が出来ないのかといえば、話し合いが成立するのははお互いの価値観が共有できる時だからだ、つまり宗教や思想的対立があれば話し合いの解決は困難を極めるのだ。そこまで言わなくてもTVの討論番組を見ていれば、討論にどれほどの知性が集まったとしても、このテーマでは最終的に罵詈雑言の嵐で終わることが多い、平和を語る討論会が、身近に刃物でもあれば血の雨が降りそうな勢いなのである、私はこれが人間の持つどうしようもない限界のように感じている。

そこで人類がこのような人間の悲しい性に対しタガをはめたのが国際法に規定された戦争行為だと思っている。そこには国家を代表する武装した者同士の戦いを戦争と規定し、無差別な殺人とは一線を画すものだ。ところがこのような人類の英知である国際法を骨抜きにしてしまったのが東京裁判ではないだろうか、あの裁判によって軍の規律は否定され、武器を持たない市民に対する攻撃も不問とされてしまった。これによって見境の無い核攻撃も軍事行為だという飛んでもないルールが暗黙の常識となり、世界中堂々と通用するようになってしまた。核兵器の廃絶を世に問うならば、まずは都市攻撃を不問とするような東京裁判史観を問うべきではないだろうか。

武力は不要か

このことも意見は2つに分かれる、日本国は憲法により武力の保有や行使は認められていない。となれば世界情勢がどうだったにしろ日本は80年近く平和に暮らしてきたではないかという意見と、これはアメリカが日本の武装解除を維持するための日米安保による見せかけ平和だったのではないだろうか、つまりこの80年は完全に武力無くして平和が保たれていたわけではないという考え方だ。いずれも日本が平和だったことを考えれば成否についての証明にはならないだろう、とはいえこのような認識は自衛隊の最前線とは違う認識だったに違いない。

では歴史においてはどうだったのかといえば、日本は2700年に及ぶ歴史の中で皇統を維持してきたが、それは外交のみで維持できたわけではない、明らかな武力侵攻に対しては毅然とした態度で武力により国家の主権を維持してきたのである。そしてそのための準備を日本人は何百年平和が続こうとも怠ることはなかったのである。このことの恩恵は日本ばかりに留まらず現在の東アジアの繁栄を見れば明らかである、というのも80年まえの世界地図でアジアに西洋の影響を受けない国はなかったのだ。このことを日本人は忘れてはいけない。

もののあわれと抜刀隊

先ほど抜刀隊というこの曲が現在の陸上自衛隊の行進曲だと述べた。さらにこの曲は明治いらいの日本陸軍の行進曲でもある。ところが軍艦マーチを聞く頻度に比べれば、この曲を一般人が実際に聴くチャンスは自衛隊祭りか、先ほど紹介した学徒出陣の悲しい映像が流れる時ぐらいではないだろう。ところで私がなぜいまこの曲を取り上げたかというと、この曲には実に不思議な歌詞がついているからだ。

この曲には「われは官軍、我が敵は」という古めかしい歌詞がついている。それもそのはずこの曲が出来たのは1877年に起こった西南戦争をもとに作られた歌詞だ。不思議なのは次からの歌詞だ「敵の大将たるものは古今無双の英雄で、それに従うつわものは共に剽悍決死の士」これから戦おうとする大将や兵隊を明らかに称えた歌である、確かに敵対した相手の手ごわさを際立たせそれに勝った自分たちを逆説的に称えるという解釈もできないではないが、この歌詞ははたしてそんな薄っぺらな物だろうか。

というのもここに歌われている大将とは西郷隆盛のことで、西郷といえば勝海舟との怪しい密談の絵をすぐ思い浮かべるが、明治維新の最大の難所である廃藩置県を山形有朋など政府の中枢が海外視察で留守中に成立させてしまった剛腕の持ち主だ。これによって藩にお抱えの武士たちは職を失うことになる。つまり西郷は官軍と対峙してきた武士たちにとっては敵中の仇のはずだった。歴史は皮肉なものである、この反乱軍の鎮圧にあたったのが斎藤一のような新選組や会津藩士のような刀に覚えのあるかつての武士たちだった。つまり討伐に当たった敵とは自分と戦った敵であり最後の武士ともいえる存在だったのでだ。このように戦争とは人情を許さない不条理の世界であって、とはいえ、どれほど非情な世界であっても軍人にとって命令はぜったいなのである。

そう思うともののあわれと軍人の思いは重なるところが多い、国のためとはいえ自分の命も顧みず、人の命を奪うことも使命としなければならない存在なのだ。私は自衛隊がこのような過酷な任務に誇りをもって当たっていただけるように、彼らの身分が国際法で認められた軍人であることを憲法に明記する必要があると思っている。

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Posted by makotoazuma