思考ラボ
2023年 5月29日 理想の暮らし
地球上にはすでに人類すべてが飢えずに暮らすことのできるだけのお金がある。しかもその量は年々増えているにもかかわらず、テレビに映し出される光景は、私が50年前にTVで見た景色と変わらない。いったいこの映像が流れない時代はいつになったら来るのだろうか、というのも50年といえば科学の技術は、現代と50年前とでは想像もつかないほど隔たりがある。つまりその科学技術によって人類は想像もつかないほどの豊かさを手に入れていても不思議ではないはずなのだが、TVから流される貧困の映像は50年前に見た映像と少しも変わりがない。
このような不快な映像を見るにつけ、人類の努力とは何だったのかという気分になる。私にとってこのように悲惨な映像は、支援を喚起することよりも、お金の流れそのものに歪があるのではないかと疑ってしまうのだ。そう思ってみるとこの映像の裏には50年前と変わらない同じ背景が見えてくる、それが戦争や紛争であり、それを成立させるための武器である。
そうはいってもこの日本でさえ、一時このような事態に陥りかけた時期がある、それが明治維新に行われた戊辰戦争だ。あの当時の日本も世界から供給される最新鋭の武器をそれぞれの陣営が手に入していた。ライフルや砲弾など函館の博物館には当時最先端の銃や砲弾が展示してあり、当時からこんなものがあったのかと驚いてしまう。きっと対立するそれぞれの陣営に各国からの支援があったと思うのだが、この戦いが長期化せずに終息できたのは、当時の日本人には戦いを治める知恵と度量があったからではないだろうか。
私はこのような兵器によって人類が被る損失は計り知れないものがあると思っているのだが、だからといって、今すぐすべての武器を手放すことは現実的ではないだろう。それには武器を手放すことのできる環境というものが必要だ、以前も述べた通り日本には武器を必要としない時代があった。しかもその時代は1万千年以上も続いていたのだそうなのだが、その世界に少しでも近づくことが武器を捨て、貧困を消滅させることの希望になると考えているのだ。
そのためには逆説的にはなるが、まずは日本が独立国として武装し軍事同盟を抜けることが先決だ。今騒がれているNATO軍もソビエト崩壊で本来の目的を失い、平和を確信した加盟国は武装を放棄し始めたところだった。ところが事態は現状の通り一触即発の状態になっている。このため平和に向かっていた潮流が一気に軍拡の色彩を強めているのだ。
ところでこのような流れは他人事で済まされない、なぜか最近特に日本の近隣で戦争が近いとの噂が流れているからだ。しかも日本が独立国としての主権を主張できない状況では、いまの広島サミットが示す通り日本はその流れに従うよりないのではないだろうか。
私はそうではなく日本から平和な生活を実践していくことで、人類の未来に本当の平和を示していくことになると思っている。今現在日本のあちこちで農業から携わる人たちの村づくりが増えているそうだ、ときおり沖縄で、そんな村づくりをしているさとうみつろうさんの言葉を思い出す。
実際に土に触れてみて、そこから育つ農作物の恵みに預かっていると、不思議と物を所有しようとする意識が、体から抜けていくそうなのだ。私はその感覚こそ平和な暮らしを営んでいた縄文人の心ではないかと思っている。