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今日は好日

2022年12月3日gallery,今日のできごと日々のブログ

2022年 4月16日 名刹 国華山 高龍寺

今日は早々と散歩に出かけました。北海道の朝はまだまだ風が冷たく霜が降りているのではと思うくらいです。さて今日は家の近くの漁港から始まり名刹高龍寺を訪れようと思っています。いまの函館山は頂上が霞に覆われていますが、昼までには晴れ晴れとした天気になりそうです。ところで、この漁港一帯は私の子供の頃の遊び場で懐かしさもありますが、思い出したくもない恥ずかしい思い出もたくさんあります。

そんな顔から火が噴きだして来そうな思い出を辿りながら、あらためて街中を歩いてみると空き家や空き地が増えている様子がわかります。そんなことを考えながら15分も歩かないうちに高竜寺の山門が見えてきました。

この高龍寺は曹洞宗永平寺派の寺で、創建は1633年当初は、もっと五稜郭に近いところにあったようですが、函館戦争のあたりになると、西部地区に移転していて私の家のすぐ近くにあったようで、おそらく函館戦争(1869年)の時には旧幕府軍の病院として使われたいたためきっと土方歳三もそこを訪れていたはずです。

ところがそのおかげで、旧幕府軍の病院施設とみなされた寺は官軍によって放火され全焼したそうです。結局現在のところに移ったのは近代の明治12年ですが、その見事さは北海道随一に思えます。

特にこの寺の荘厳さを象徴しているのがこの山門で、この山門は東北以北最大を誇ります。函館戦争で全焼してのち1879年に始まった本堂の移転には20年の歳月がかかり、この山門が完成するためにはさらに10年の歳月を要しました。

ところで、この山門の見事さは、大きさよりもここに施された彫刻の美しさにあります。制作は越後の職人集団だそうですが、日本随一の技量を誇る柏崎という集団です。これらの彫刻の鋭い線は、この彫り物をした職人の技量を伝えてくれます。是非一度、実際にご覧いただければと思います。

 

 

このような寺の見事さは水盤舎にある龍にまで及んでいます。さてこのように隅々まで立派なお寺ですが、お寺は建物が出来ればそれで終わりというものではありません。仏様の教えを伝え人々を導くことが本来の役目です。その為には施設や僧を維持していかなければならないという宿命を背負っています。

この寺が出来た頃の函館は天然の良港として造船業や遠洋漁業から富を得ていました。そこで、潤った檀家が一生懸命寺を支えてきたのですが最近は、造船業、水産業ともに先行きの見えない状態が続いています。

ではこれから函館の経済に潤いを与えてくれるものは一体何なのでしょうか、正直あまり多くは無いと思いますが、これまで函館に刻まれてきた歴史は、世界中から見ても大変魅力のあるものです。歴史は創ろうと思って創れるものではありません、いわば偶然出来た授かりもののようなものです、大切にしない選択肢は考えられません。あとはどのようにプレゼンしていくのか答えは自分の足元にあります。