今日は好日
2022年 4月30日 指導者を望まない日本人
先日TV番組で和楽器についての特集を見た、NHKの美の壺という番組だ。その中で雅楽について触れていたのだが面白い発見があった。雅楽と言えば西洋のオーケストラに例えられる、日本の音楽だ、笛や太鼓、琵琶などで構成される音楽で、とはいえ西洋の交響曲と比べるとかなり特殊な音楽だと思う、何故かと言えばどこから始まってどこで盛り上がってどこで終わりになるのか、あまり判然としない。
西洋と日本ではこれだけ音楽に求めるものが違っているのだと思うが、西洋音楽に成れてしまった私の耳にはどこをどう楽しんでいいのかすら、分からないという悲しい思いになる。
ことさら驚くのは、雅楽には楽譜というものが存在していないことだ、どのように曲を覚えるのかと言えば一曲一曲、口で伝えられるそうだ。しかもこのオーケストラには指揮者がいない。みんな一斉に前を向きながら黙々と演奏をしている。
ではどのように音を合わせるのかと言えば、東儀秀樹氏の解説によるとそれぞれの楽器がメインになるところでメインになる楽器奏者が全体をリードしていくそうだが、むしろ、全員がメインの奏者に合わせていくというイメージではないかと思う。
ところで海外の人が、日本人の行動パターンを例えるとすると日本人は「周りがやっているから」ということが行動の動機になると思われているようで、確かに良く言い当てていると笑ってしまう。
このように書くと日本人は大衆迎合にはまる烏合の衆かと捉えられかねないが、そんな単純なもので無いことは、日本の歴史が否定してくれる、むしろ日本人の本質には個人個人か理想に向かって最善を尽くすという基本理念であって、そのことが深く沁みついているからこそ、秀でた指導者を求めなくても、目標を見失うことはないのだと思う。