今日は好日
2022年 10月4日 Jアラートが鳴っている
いま、外でJアラートの警報音が鳴っている。まるでクジラの断末魔のようなゾッとする音だ。テレビなどでは建物や地下に避難するようにアナウンスしてはいるが、そんなことをして何の気休めになるのか、もしも核弾頭や化学兵器でも積まれていれば、国民にはまったくなすすべがない、黙って消え去るのみなのだ。
いずれほとぼりが冷めたところで、これまで通り政府からミサイル発射国に対し遺憾の意を表明されるのだろうが。国民の生命財産を守るとした日本国憲法には残念ながら、これ以上の対応は認められていない。現憲法ではこのような事態に至っても相手国の良心にすがるほかないのだ。確かに有事の法制整備には一定の進展があったものの、今のままでは有事の際、自衛隊の行動には他国の軍隊との協力において法的にかなり厳しい解釈が求められるのだ。
先の大戦においては国の憲法で認められ、世界的協定のハーグ条約に批准した軍隊であっても、戦後これだけの非難を浴びるのが敗戦国の悲しい実態だ。このような状況に現在の自衛隊を照らし合わせると自衛隊という組織には、かなりの問題が浮かび上がってくる。例えば自衛隊員が捕虜になった場合や、ハーグ条約等に反する行為があった場合、自衛隊員はどのような身分で裁かれるのかなどだ。
話は変わるが、最近偶然だがTVで「柘榴坂の仇討ち」という桜田門外の変をテーマにした映画を見た。桜田門外の変といえば江戸城に向かう井伊直弼を水戸藩氏が襲うという事件だが、この時井伊直弼を警護していたお供は60人、安政の大獄以降、周りから相当恨みを買っていた井伊直弼の身辺は、当時かなり緊張していたはずである。ところが井伊直弼は60名のお供に守られていたにもかかわらず17名の水戸藩氏にあっさりと打ち取られてしまった。映画でも雪除けに着た合羽や刀の柄につけた覆いが邪魔をして暴徒に対し反撃できなかったとされているのだが、わずか90センチに満たない刀同士の切りあいでも初動の反撃を制限されてしまうと命を守る刀は何の役にも立たなかったのだ。
このことは防衛という事態についての大変貴重な教訓になるのではないだろうか、今我々に牙をむいているのは刀を振り回す暴徒ではない、何百キロ先から最新鋭の武器を使って我々を攻撃しているのだ。このような状況で防衛というものを考えると初動の対応はさらに重要性を増しているといえる。なぜならミサイルが着弾するということは、弾頭や目標によってその被害は無制限に拡大できるからだ。
つまり有事においては内閣の判断すら待てない状況に至る可能性がある。この時の判断を間違えないようにするためには、国民のコンセンサスとして憲法が確りと制定されていなければならない。解釈が分かれるような文章は修正されてしかるべきなのだ。このような緊迫した状況であれば、いまはモリカケや宗教弾圧に国会で血税をすりつぶしている場合ではない。国会で真っ先に議論していただきたいのは、いかなる方法でこの国を守るのか、そのためには国として武力を用いても国民の生命と財産、日本国の尊厳を守ろうとするのか、あるいは武装を手放して相手国にすべての権益をゆだねるのかこれこそ真っ先に国会で論じられることではないか。刀の柄に覆いをかけて護衛を敵前にさらすのは生贄を捧げる行為に他ならない。